TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

山本アンバサダーコラム

レノファの母体となった県サッカー教員団でDFとして国体に3度出場。1990年から16年間は監督を努め、チームを天皇杯に4度導いた。2006年のレノファ山口設立のメンバーの一人で、現在もクラブの「アンバサダー」としてホームゲームの運営やPR活動に携わる。教師としては萩商工高、下関商業高、西京高の校長などを歴任し、山口高時代はレノファの河村孝社長の担任を努めた。選手たちとも親交が深く、オフは一緒に出かけることも。

第5話 2010年

月岡監督体制スタート
高みにチャレンジ!

チーム立ち上げから4年間指揮をとった宮成隆監督はチーム全体の総括としてGM兼総監督に就任、創設5年目となる2010シーズンはプロ経験のある月岡利明新監督を迎え「常昇から常勝へ~最後は、気持ち~」を合言葉にJFL昇格をつかみ取るという最大の目標に向かってスタートしました。トレーニングも当然のことながら選手個々を成長させながら新システム構築に向けて変化していくこととなりトレーニングマッチも多く組まれました。新戦力として長野パルセイロからDF碇野壱馬選手、福島ユナイテッドからMF田村隆生選手、九州総合スポーツカレッジからGK西川充選手らが加入、JFLでの経験者も年々増えてきてポジション争いも激しいものになっていきます。碇野選手と田村選手はともに多々良学園(現・高川学園)時代に活躍していた選手であり山口県出身の選手がチームに加入してくれることは嬉しいことでしたね。この年から「やまぐちサッカー交流広場」での活動が始まりトレーニング拠点ができたこと、サッカー専用グラウンドで試合が開催できるようになったことはチームにとって有形無形とても大きな力となりました。ずっとお世話になっている八坂地区むらづくり協議会の皆さんには本当に感謝で一杯です。「地域における豊かなスポーツ文化の創造と青少年の健全育成」というチーム理念を具現化していくにもつながっています。(2010中国リーグは10チーム編成。Jリーグに加盟したファジアーノ岡山が戦力強化を図るため結成したファジアーノネクストがこの年から中国リーグへ昇格)

2010シーズン選手&スタッフ

開幕までのトレーニングマッチ5試合を含めてのチーム強化が進められ迎えた4月17日の開幕戦でファジアーノネクストに3-2で勝利。その後3敗は喫しましたが攻守に安定したゲーム運びが展開されました。そして迎えた10月3日優勝を懸けて臨んだ最終戦(広島・千代田で集中開催)、多くのサポーターの声援を力に強敵・佐川急便中国に終始主導権を握ってゲームを進め勝利をつかみ取り2年ぶり2回目の優勝を飾ることができました。リーグ戦績は14勝1分け3敗、勝利した14試合全てが複数得点ゲームという攻撃的なサッカーが体現されました。優勝決定後、宮成総監督が何度も宙を舞った歓喜の胴上げは最高でしたね。そして3年連続JFL昇格のチャンスをつかみ取ることとなりました。

サポーターの皆さんとのリーグ優勝記念写真 ※2010年10月3日 広島県千代田運動公園にて

山口県選手権大会では徳山大学に勝利して前年に続き天皇杯へ出場、1回戦では高校サッカーの強豪・米子北高校に2-0で勝利しました。ちなみに米子北高校のDFには現在はガンバ大阪に所属している昌子源選手がプレーしていました。わずか中1日で迎えた9月5日、2回戦で反町康治監督率いるJ1・湘南ベルマーレに挑みました。防戦一方となり1失点で我慢していましたが、後半30分に退場者を出すと連続3ゴール奪われて0-4と完敗。前年に続きJ1チームに完膚なきまで叩き潰されることとなりました。“いつの日かJ1から勝利を”。

天皇杯2回戦 vs湘南ベルマーレ(0-4)※2010年9月5日 神奈川県平塚競技場にて

10月16日から山口県で開催された全国社会人大会では1回戦で三洋電機徳島に2-1で勝利しましたが2回戦で新日鉄大分相手に延長の末3-5で負けて敗退。前半に3ゴール奪う有利な展開も後半に退場者を出し大逆転負け。1ヶ月後の地域リーグ決勝大会に向け不安を残す結果となりました。

今年こそやらなくては!しっかりと気持ちを切り替え3年連続決戦の舞台へ、11月21日から3日間茨城県ひたちなか市総合運動公園で開催された全国地域リーグ決勝大会予選ラウンド。初日にY.S.C.C.(関東・神奈川、現在はJ3)に0-3、続くHOYO Atletico ELAN(九州・大分)には0-1で負け2連敗。最終日はSC相模原(優遇措置による出場、現在はJ2)相手に前半立ち上がりに2失点、後半に意地を出し3-2と逆転勝利を収めましたが1勝2敗で予選ラウンド敗退が決定し3年連続JFL昇格を叶えることはできませんでした。

月岡新体制となっての多くの成果・手ごたえを得ながらも常勝チームに成長するための様々な課題も顕著にあらわれたレノファ5年目シーズンの終了です。翌年2011年の山口国体での優勝に向けた強化、そして”J”のつく場所へたどり着くための挑戦は止まることなく続いていきます。

第4話 2009年

宮成監督体制勝負の4年目
全国地域リーグ決勝大会に再挑戦!

前年度は中国リーグ初優勝をつかみ取り全国地域リーグ決勝大会に駒を進めましたが決勝ラウンド4位とあと一歩及ばずJFL昇格ならず。その一歩はとても大きな一歩であると感じ得たことを糧に、2009シーズンは「LOAD TO JFL」を合い言葉に宮成監督体制4年目のスタートをきりました。(2009中国リーグは10チーム編成。県内チームはレノファ山口、日立笠戸と初昇格を果たした宇部ヤーマンの3チームとなる。)

新戦力としてガンバ大阪から守備の要として期待される伊藤博幹選手、カマタマーレ讃岐から石原正康選手(2011年度末に引退。河村社長とともにクラブの成長・発展のために日々全力で取り組んでいるレノファ山口GM)、徳島ヴォルティスセカンドから鈴木修平選手、FC琉球から大野寿久選手、三菱自動車水島から中川心平選手、東海大学から吉次陽選手ら10名が加入し選手層も厚くなり中国リーグ制覇とJFL昇格を目指し開幕を迎えました。

2009シーズン選手&スタッフ集合写真

リーグでは5月に黒星を重ねてしまい13勝1分け4敗で2位。5月10日デッツォーラ島根に0-2、17日宇部ヤーマンに1-3、31日佐川急便中国に1-5とホームで3連敗を喫したのが最後まで響き優勝は佐川急便中国に奪われました。5月17日きらら博記念公園サッカー・ラグビー場でのゲーム後、選手・スタッフも帰りグラウンドで二人きりになった時、ミヤ(監督)が「やっぱりダメなんかね。山口県でJリーグは無理なんかね。」と初めて弱音を吐いたことを覚えています。ミヤからこんな弱気な言葉を聞いたのは後にも先にもこの時だけです。6月に入り宮成監督は一切ぶれることなく妥協することなくしっかりとチームを立て直し勝ち続けました。(この頃すでにシーズンオフの監督退任を決めていたのでは・・・)。優勝は逃しましたが、個人賞では激しい争いを制して見事に得点王に福原康太選手、アシスト王に柏原涉選手が輝きました。

この年は優勝した佐川急便中国が全国地域リーグ決勝大会への出場を辞退したため2位レノファにJFL昇格のチャンスが巡ってきました。2年連続での挑戦となります。

山口県選手権大会では前年に続き優勝し天皇杯へ出場、天皇杯1回戦では三菱自動車水島に1-1からPK戦7人目で勝利(選手たちは勝ち上がって川崎フロンターレと戦いたい、と強い気持ちを抱いていましたからね。)10月11日、いよいよ2回戦でJ1・川崎フロンターレに挑むこととなります。前日川崎市入りし当日はタクシーに分乗して気持ちを高揚させながら川崎市営等々力陸上競技場に乗り込みました。

5千人近くのフロンターレサポーターが創り出す最高の雰囲気、そして何よりもオレンジ・ユニのレノファサポーターに勇気をもらい選手たちはピッチに立ちました。ゲームは鄭大世(チョン・テセ)選手(現:町田ゼルビア)にヘディングで3ゴール決められ1-6での大敗。前半22分にコーナーキックから鄭大世選手に強烈なヘディングシュートを決められた1分後、柏原渉選手が同点ゴールを決めた瞬間レノファベンチではみんなで飛び上がって喜んだのを覚えています。なんとフロンターレのDFには昨年からレノファで活躍している菊地光将選手がいて守備網を張っていましたからね。今季もフロンターレに所属している登里享平選手も途中出場しています。不思議な縁や時の流れを感じます。ゲーム後にフロンターレサポーターにあいさつに行った時、温かいレノファコールを贈ってもらったことは嬉しかったですね。スタンドからの「レノファ山口、Jの舞台で待っているぞ、頑張れ!」という多くの声援・応援は今でも耳に残っています。

天皇杯2回戦/vs.川崎フロンターレ戦 1-6(2009.10.11 川崎市営等々力陸上競技場)

”今年こそはJFL昇格を”つかみ取るため決戦の舞台へ、11月21日から3日間鳥取市コカ・コーラウェストスポーツパークで開催された全国地域リーグ決勝大会予選ラウンドでは沖縄かりゆしFCに1-1(7PK6、9人目で決着)、浜松大学には4-0で勝ち、迎えた最終日決勝ラウンド進出を懸けて挑んだ松本山雅FCに0-3と完敗を喫し万事休す。2勝1敗で予選ラウンド2位、前年に続き力足りずJFL昇格を叶えることはできませんでした。

全国地域リーグ決勝大会予選ラウンド/vs.松本山雅戦 0-3(2009.11.23 鳥取市コカ・コーラウェストスポーツパーク)

宮成隆監督はこの年限りで4年間務めた監督を退任し、総監督・GMに専念することとなりました。歩みを止めるわけにはいきません。レノファ山口は新体制へと舵を切り「J」のつく場所へ挑み続けることとなります。

第3話 2008年

創設3年目、悲願のリーグ初優勝!
全国地域リーグ決勝大会に挑む!

前年度までの反省から中国リーグを制するためには開幕当初からスタートダッシュできることを主眼にチーム作りが進められ3年目の挑戦がスタートしました。(2008中国リーグは10チーム編成となりましたがファジアーノ岡山がJFL昇格のため9チーム編成となる。県内チームはレノファ・日立笠戸、初昇格を果たした宇部ヤーマンの3チームとなる。)

チームもサポーターも待ち望んでいた新戦力としてアビスパ福岡からともに21歳と若い安田忠臣選手と多久島顕悟選手が加入しました。試合中のプレーだけではなくトレーニングに取り組む姿勢やサッカー選手としての志など他選手に影響をもたらす二人の存在感は日を重ねるごとに大きくなっていきました。セントラル中国から前年度までレノファを苦しめていた福原康太選手(現在はFCバレイン下関代表)と戸高研太選手が加入、同じく新加入の児玉光史選手(東亜大学→都城SS)や6月途中加入の佐久間大樹選手(日本工学院F・マリノス)もチームの攻撃力にアクセントを加えてくれました。また週末の活動が制限されることが多い教員は必然的にチームの中心選手からは徐々に少なくなっていくこととなります。

2008シーズンスタッフ&選手

2008シーズンスタッフ&選手

4月20日、山口ダービーとなった開幕戦の宇部ヤーマンとの激闘は1-1のドローと苦しみましたが、第2節以降は安定した試合運びと気持ちの入ったプレーを継続して戦い抜きました。迎えた10月26日の最終節佐川急便中国戦には維新公園ラグビー・サッカー場に800人のファン・サポーターが詰めかけ選手たちの背中を押してくれ2-0で会心の勝利を収め11勝5分け0敗と負けなしで歓喜のリーグ初優勝を成し遂げました。勝利の瞬間、会場の雰囲気は笑顔と歓声で最高潮に達しましたね。またアシスト王にはチームの中心選手として躍動した安田忠臣選手と多久島顕悟選手の2名が輝きました。リーグ優勝したことにより(この年は中国地域枠2チームのため2位以内)最も過酷な戦いと言われる全国地域リーグ決勝大会への出場権も獲得しJFL昇格へ挑むこととなります。

中国リーグ初優勝を記念してサポーターの皆さんと記念撮影

中国リーグ初優勝を記念してサポーターの皆さんと記念撮影

いよいよ決戦の舞台へ、11月22日から3日間鳥取市“とりぎんバードスタジアム”で開催された全国地域リーグ決勝大会予選ラウンドでは静岡FC(現J3藤枝MYFC)に1-0、グルージャ盛岡(現J3いわてグルージャ盛岡)に2-1、松本山雅FCに1-1(5PK3)と強豪3チームに真っ向勝負を挑みなんと3戦全勝でグルーブ1位通過、決勝ラウンドに駒を進めました。このことは「レノファ山口」というチーム名を広くPRすることにつながったと思っています。そして予選ラウンド各グループを1位通過した4チームが沖縄県石垣島“サッカーパークあかんま”に集結した決勝ラウンド、レノファは決勝大会参戦にあたって400万円を超える多くの皆様からの多大な募金支援と温かい声援を頂き2位以内でのJFL昇格を目指して乗り込みました。11月28日初戦の町田ゼルビアに0-2,続くホンダロック(宮﨑)に0-2、11月30日の最終戦V・ファーレン長崎には0-1で負け1ゴールも奪うことができずに3戦全敗で4位、他チームのレベルの高さや強さを思い知らされる結果となりました。「レノファはまだまだ地力をつけていく必要がありますよ!」という長崎戦終了の笛とともに3シーズン目の挑戦が終わりました。(※最終的にはこの年JFLから3チームがJリーグへ昇格したため決勝大会3位のホンダロックまでがJFLへ。)

3戦全勝で地域リーグ決勝大会予選ラウンドを突破

3戦全勝で地域リーグ決勝大会予選ラウンドを突破

JFL昇格を成し遂げていく各チームのレベルの高さ及び選手・チーム・クラブが有する諸々の強さや歴史を痛感して石垣島から帰山。チーム創設3年目の戦いで経験した多くのこと、とりわけ地域リーグ決勝大会予選・決勝ラウンドの6試合を通して感じ得たものはチーム及び選手たちの意識改革や行動変容に繋がり宮成隆監督体制4年目の戦いにチャレンジしていくこととなります。

第2話 2007年

レノファ山口2年目の挑戦!

JFL・Jリーグ昇格、4年後の山口国体優勝に向けて飛躍の年にしていきたいということでキャッチフレーズは「粘る!」=気持ちは一つ=、そして「夢・感動・元気」を共有できるチームを目指し2年目のシーズンがスタートしました。

チームには新たに藤井仁詩選手(中京大学)や大野達也選手(徳山大学)たち即戦力が加わりました。
守護神であるGK澤野晃士選手そしてMF石上大輔・松原幸雄選手を攻守の要、高杉勇次・尾崎光選手が攻撃の核となるチーム作りは進みシーズンを戦うこととなります。

開幕戦はフジタに0-0で引き分け、2戦目はJFE西日本に1-4の負けと厳しいスタートとなり、山口ダービーとなる3戦目の日立笠戸戦で3-2と辛くも初勝利をつかみました。(山口教員団時代から日立笠戸とは県内のライバルチームとして互いに切磋琢磨してきています。県内に競い合うチームの存在があるということは県サッカーの強化・活性化において大きいことです。)
6月には渡邊雅人選手(徳山大学卒→ヴァンクール熊本)が加入しDFラインが安定してきて、リーグ優勝目指して戦い続けましたが最終成績は3位と悔しい結果となりました。
特に優勝したファジアーノ岡山には1-5、0-3、上位リーグ戦でも1-5と大敗し前年度から5連敗を喫するという厳しい現実を突きつけられました。(2007中国リーグは8チームによるリーグ戦14試合の結果により、試合数増や強化のため上位・下位4チームずつによるリーグ戦を実施)。

この年、ファジアーノ岡山は中国リーグを全勝優勝、全国地域リーグ決勝大会も優勝して2008年からのJFL昇格を決めました。これでレノファがファジアーノ岡山から勝利をつかみ取るためには昇格を果たし追いついていくしかないという事になりました。(今季3月21日に開催される15周年記念試合となるファジアーノ岡山戦、絶対に勝ちましょう!)

ホーム最終戦となった9月9日の佐川急便中国戦(会場:維新公園ラグビー・サッカー場)は7-5で勝利、両チームで12ゴールの乱れ打ちとなりサポーターの皆さんもびっくり。

山口県選手権大会では徳山大学に4-0で勝利しレノファ山口としては初優勝を果たし、9月16日に開催された天皇杯選手権1回戦ではJFL所属のソニー仙台FCに挑みました。

前半5分で先制されるも松原幸雄選手のゴールで同点、しかし終了間際に勝ち越しゴールを奪われ1-2で負け悔しい結果となりました。
チーム移動として仙台空港まで飛行機、そこから専用バスで宿舎や試合会場へ、ゲーム後はすぐに帰山というスケジュールを経験しました。
いつの日かJFL・Jリーグ参入となると毎週このような移動や週末が当たり前のような事になるのか、と交わされていた選手たちの会話を思い出します。

なお、この年からスポーツを通じた地域貢献、地域と密着したチームづくりを目指して小学生対象のレノファサッカー教室をスタートさせています。

中国リーグを制するためにはシーズン開幕と同時にスタートダッシュできるチームにならなければいけないということを痛感するシーズンとなりました。宮成隆監督のもと新戦力の獲得やトレーニング計画・内容の再考等チーム強化に取り組むとともに、この1年間で経験したことを糧にレノファ山口は怯むことなく3年目の勝負へ向かっていくこととなります。

 

 

 

第1話 2006年

この山口にサッカーチームを
子どもたちに夢を。

時は2005年10月末、山口教員団は中国リーグ7チーム中最下位に沈み入替戦に向け思案している夕方、県サッカー協会技術委員長であるミヤ(故宮成隆レノファ初代監督、山口高校サッカー部の2学年後輩)から相談したいことがあります、と連絡が入りました。(ちなみに2005年中国リーグには山口教員団が2回目の昇格参入、チーム結成2年目のファジアーノ岡山が初昇格参入)。

そして翌日、「山口県にJリーグを目指すチームを立ち上げたい。新たなチームを結成し県リーグに加盟するという0からのスタートではなく教員団を母体としたい。何とか入替戦で頑張り中国リーグに残留してもらいたい。」と、いつものミヤどおり自分の思いをほぼ一方的に話しノーという選択肢がない会話となりました。

中国リーグをともに戦っていた鳥取教員団(後にSC鳥取→ガイナーレ鳥取)がJFL・J2と歩を進めた勢いのある時期を思い出したり、前年創設されたファジアーノ岡山の目標や方向性を聞く機会が増えたりしていた時期でもあり、”Jリーグ”という言葉が浮かんだり消えたりという状況で入替戦2試合を戦いました。
2戦ともに辛くも引き分け(特にアウェーとなった2戦目は1点リードを許したままラストワンプレーで劇的同点弾が生まれる)残留を決めることができ大きな安堵感に包まれました。倉敷からの帰路、チームは車移動でしたが急遽私一人だけ新幹線に、ビール片手にいろいろな思いが駆け巡ったことを覚えています。

その後は県サッカー協会の役員でもあり「Jを目指すチーム創り検討委員会」山根幹夫委員長、設楽健治副委員長、佐竹博委員たちが尽力され協会会議や検討委員会会議を重ねチーム創りの検討が進んでいきました。そして2006年2月20日に県庁内県政記者クラブにおいて、「山口県サッカー教員団を母体としたJリーグを目指す新チームをスタートさせる。総括責任者兼監督には宮成隆が就任する。2015年からのJ1昇格、2011年の山口国体での優勝を目指す。今後、チーム名を公募する。」という記者発表が行われました。
志高く語るミヤの横で「もう前へ進んでいくしかないな」と強く決心した事を思い出します。

記者会見  

創設初年度は2チーム体制で活動することとなり、選手全員との面談が行われ中国リーグと県リーグ4部に登録。山口教員団のメンバーに大卒新人の宮﨑智史・吉田健次郎・柏原涉選手たち数名が新しく加わり、石上大輔主将のもと新たな歴史を歩み始めることとなります。
と言ってもメンバーは前年とほぼ変わらず、週3日選手もスタッフも全員が仕事を終え夜集合してのトレーニングを重ね週末のリーグ戦に臨むこととなります。

2006メンバー

ホーム戦では試合会場作りから運営等全てのことを選手・スタッフ、そして心強いボランティアグループで行っていました。
中国リーグ2005年シーズンはファジアーノ岡山を含め佐川急便中国やセントラル中国(後のデッツォーラ島根)、フジタなど強豪がひしめいていました。

いよいよ4月30日リーグ開幕、レノファ山口の歴史を刻む初戦となったファジアーノ岡山との一戦(桃太郎スタジアム:現在のシティライトスタジアム)は力の差を見せつけられ1-5と大敗を喫し、5月のホーム戦でも0-3と歯が立たず。レノファ初年度の成績は8勝6敗で4位、優勝はファジアーノ岡山でした。
しかし前年度1勝しかできず最下位だったチームが8勝できたことでチームの変革を感じることができました。
(なお、県リーグについては2年間で活動を終えるとともに登録辞退。2006年度4部Aゾーン優勝、2007年度3部Aゾーン2位)

レノファ山口初のホームゲーム(2006.5.7 vs佐川急便中国/維新公園ラグビーサッカー場)

レノファ山口初のホームゲーム(2006.5.7 vs佐川急便中国/維新公園ラグビーサッカー場)

数多くの課題に直面しながらも一歩前へ踏み出した事による収穫もあり、PDCAサイクルを回して2007年度の戦いに向けオフ期間の取り組みをすることとなります。
ミヤがよく言っていた「始めなければ、絶対に何も起きない!」、レノファ山口の挑戦がスタートしました。昭和から平成、平成から令和と時代が流れる中、山口教員団からレノファ山口へと、Jリーグ参入に人生を懸けた故宮成隆初代監督からぶれることなく信念を貫いている河村孝社長へとたすきは繋がれ、レノファ山口の熱き志は脈々と受け継がれていくこととなります。

山口教員団からレノファ山口創設、そしてレノファ山口創成期から今日までに県サッカー協会はじめ行政・地域・企業、そしてサポーターやボランティア等多くの皆様のご支援をいただいています。そうした中、本コラムはチームと選手たち、各年度の戦いを中心に振り返っていきますこと、どうぞご理解のほどお願いします。

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