TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

山本アンバサダーコラム

レノファの母体となった県サッカー教員団でDFとして国体に3度出場。1990年から16年間は監督を努め、チームを天皇杯に4度導いた。2006年のレノファ山口設立のメンバーの一人で、現在もクラブの「アンバサダー」としてホームゲームの運営やPR活動に携わる。2021年4月、取締役に就任。教師としては萩商工高、下関商業高、西京高の校長などを歴任し、山口高時代はレノファの河村孝社長の担任を努めた。選手たちとも親交が深く、オフは一緒に出かけることも。

第10回 2015年

“強い向上心”胸に駆け抜けたシーズン
メークドラマは劇的同点弾で完結!
歓喜のJ3優勝・J2昇格をつかみ取る!!

山口県内初のプロサッカークラブが誕生、チーム創設10年目となる2015シーズンは、いよいよJリーグの舞台に戦いの場を移すこととなります。

上野展裕監督体制2年目、チームの顔ぶれは大きく変わりました。前年度までともに戦ってきた20名の選手たちが移籍や退団することとなりチームを離れていく一方、JFLやJチームから高みにチャレンジしようとする選手たち、そして新進気鋭大学卒7名の選手たちが加入してきました。向上心に満ち溢れた選手たちの集団となっていきます。

2015シーズン選手&監督

2年目のシーズンを迎えたJ3リーグは13チームによる3回戦総当たりで行われることに。全39節において36試合戦う中、Jリーグ・アンダー22選抜との3試合は各チームにとってポイントになるとともに難しいゲームになりました。U22は毎回メンバーが変わるということもあり得失点差に影響を及ぼすゲームも結構ありました。【レノファの対戦成績は8-0、3-0、0-0の2勝1分けで得失点+11】しかしU22選抜のメンバーの多くが現在J1・J2で活躍していることを考えると意義あるものだったと思います。

レノファ山口の記念すべきJ3リーグ初戦はガイナーレ鳥取との開幕戦、スタメンは一森純(現/J1ガンバ大阪)小池龍太(現/J1横浜Fマリノス)池永航(現/JFL・FC大阪)宮城雅史(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)香川勇気(現/J1大分トリニータ)鳥養佑矢(現/J2琉球)福満隆貴(現/J2ジェフ千葉)庄司悦大(現/J2京都サンガ)小塚和季(現/J1川崎フロンターレ)島屋八徳(現/J2レノファ山口)岸田和人(現/J2レノファ山口)選手ら11名のオレンジの勇者たちです。そしてベンチメンバーには森田耕一郎、黒木恭平(現/J2京都サンガ)廣木雄磨(現/J2ファジアーノ岡山)松本翔(現/JFL・MIOびわこ滋賀)、キャプテン・平林輝良寛選手たち5人。ホーム維新において2-1と競り勝ちレノファ史上記録と記憶に残る勝利を収めています。開幕からJ3リーグを席巻し第1クールは10勝2敗、第2クールは10勝1分1敗と圧倒的な攻撃力を魅せつけ驚異的なペースで勝ち点を積み上げていきました。2010年に長野パルセイロから加入し地域リーグ、JFLを戦い続けてきた碇野壱馬選手がJ初出場を果たし3-0での完封勝利に貢献した5月31日のU22戦は感慨深いものがありました。

岸田選手が9試合連続ゴールを決め、Jリーグ記録を更新(7/29 vs福島ユナイテッドFC/3-0/維新百年記念公園陸上競技場)

優勝をつかみ取るための試練となってくる第3クールはブラウブリッツ秋田、カターレ富山に連敗し苦しいスタート、町田ゼルビアの猛追が日増しに気になるようになってきました。そして9月20日、アウェーに乗り込み町田との直接対決。ここまで町田には2連敗しており厳しい戦いが予想されていましたが3-1で勝ち町田から初勝利を挙げました。(※上野監督がシーズンを振り返りターニングポイントの1つであったという試合です。)

“よし、これで大丈夫だ”と言い聞かせ3日後アウェーでの福島ユナイテッド戦に参戦。島屋八徳選手のゴールで先制したものの後半に逆転されてしまい1-2で敗戦。町田~福島とアウェー2試合に集結した多くのサポーターは、わずか4日間のうちに大きな喜怒哀楽を味わうこととなりました。悔しさを引きずることなくチームはしっかりと気持ちを切り替えその後3連勝。“よし、今度こそこれで大丈夫だ”と思った矢先、ホーム維新で長野・藤枝に連敗を喫してしまい、いよいよ町田ゼルビアと勝ち点が並び残り3試合でのマッチレースとなりました。第37節レノファは勝ち〇/町田は引き分け△、第38節レノファは引分け△/町田は勝ち〇。2チームが勝ち点77で並走、得失点差でレノファが首位(町田との得失点差は26あり)、最終戦でレノファが勝てば優勝決定となりますが引分けもしくは負けた場合、町田の結果次第で逆転されるという状況。※J3の2位となればJ2の21位チームとの入れ替え戦となります。

11月23日運命の最終戦(選手たちは人生を懸けて)となる第39節ガイナーレ鳥取戦、会場となったとりぎんバードスタジアムには大勢のレノファサポーターが集結しました。

♪俺たちとともにJ2に行こう、おーレノファ♪

スタメンは一森純(現/J1ガンバ大阪)小池龍太(現/J1横浜Fマリノス)代健司(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)宮城雅史(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)香川勇気(現/J1大分トリニータ)黒木恭平(現/J2京都サンガ)福満隆貴(現/J2ジェフ千葉)庄司悦大(現/J2京都サンガ)小塚和季(現/J1川崎フロンターレ)島屋八徳(現/J2レノファ山口)岸田和人(現/J2レノファ山口)選手、11名のオレンジの志士たちです。そしてベンチメンバーには村上昌謙(現/J1アビスパ福岡)、鳥養佑矢(現/J2琉球)廣木雄磨(現/J2ファジアーノ岡山)、原口拓人(現/JFLヴィアティン三重)キャプテン・平林輝良寛選手たち5人。試合は開始早々に失点、岸田選手の同点ゴールで追いつくも後半に勝ち越し点を奪われて窮地に。リードを許し1-2の劣勢崖っぷちで迎えたゲーム終盤(少し前に試合が終わった町田が引き分けたためこのままでは2位に沈むことに)、アディショナルタイムが刻々と進む中(人生でこれほどまでに時間よ、進まないでくれと念じたのは初めてです。)、上野監督が「点を取ってこい」とピッチに送り込んだキャプテン平林輝良寛選手が値千金劇的な同点ゴールを決めその直後に試合終了。優勝を告げるホイッスルが鳴った瞬間、歓喜の声が大空に響くとともに涙と笑顔のレノファコール。こんな奇跡と感動のゲームをともに戦ってくれたミヤ(故宮成隆初代監督)に「ありがとう。ついにここまで来たぞ!」。試合後のセレモニーで村井チェアマンから平林キャプテンにシャーレが授与されJ3優勝とJ2昇格権利を手にした瞬間、監督・選手・スタッフたちもピッチ上で無限の喜びを爆発させていました。(なお町田ゼルビアは入れ替え戦で大分トリニータに2戦2勝して4年ぶりJ2復帰。翌年からレノファVS町田ゼルビアは激闘を演じ続けています。)

J3優勝を決め歓喜に湧くレノファイレブン

優勝後、筆者と小塚選手(現川崎フロンターレ)が固い握手を交わす

至福の幸せと大きな感動をお土産にしての帰路、鳥取から山口までの中国自動車道はまるでレノファ山口・ビクトリーロードになっていました。どこのサービスエリアもレノファ・ユニに身をまとったサポーターで盛り上がっていました。

年間成績は25勝3分8敗・勝ち点78・得点96失点36(得失点差+60)。圧倒的な攻撃力でファン・サポーターを楽しませてくれました。得点ランキングでは岸田和人選手(32点)、福満隆貴選手(19点)、島屋八徳選手(16点)の3人が上位を占めました。第2節から首位の座を一度も譲ることなく走り続けての優勝、見事な戦いを演じ駆け抜けたJ3シーズンとなりました。

山口県選手権大会はしっかりと勝利して天皇杯に出場、しかし天皇杯1回戦では長野パルセイロに0-1で負け。J3優勝に酔いしれるため天皇杯の話は割愛させていただきます。申し訳ございません。

3年連続して上位リーグへの昇格(2013年に地域リーグからJFLへ、2014年にJFLからJ3へ、2015年にはJ3からJ2へ)を果たしたレノファ山口は勢いを持ち来季からJ2の戦いに挑んでいきます。

第9話 2014年

上野監督体制スタート!
積極果敢に駆け抜けたJFL!
ついにJ3昇格をつかみ取る!

チーム創設9年目、2014年シーズン戦いの舞台はいよいよ”JFL”へ。前年度チームを率いた中山元気監督はユースチームの監督となり、新監督には故宮成隆初代監督や河村孝社長とも縁が深く広島・金沢・京都・新潟などでユースやトップチームの指揮を執り指導経験が豊富な上野展裕監督が就任しました。選手もこれまでレノファのために戦ってきた15人が退団し新戦力としてJFLやJリーグ経験選手が多く加入し新生レノファ山口がスタートします。夏の移籍期間にはミスター・レノファとして多くのファンやサポーターに愛された福原康太選手もチームを離れることになりました。一方、小塚和季選手(アルビレックス新潟)、藤本大選手(ロアッソ熊本)・山崎侑輝選手(ロアッソ熊本)たちが期限付き移籍で加わり戦力強化が図られていきました。

2014シーズン選手&スタッフ

2014年シーズンのJFLは昇格組の6クラブ(ファジアーノ岡山ネクスト・鹿児島ユナイテッド・ヴァンラーレ八戸・アスルクラロ沼津・マルヤス岡崎・レノファ山口)を含め14クラブでファーストステージ/セカンドステージを戦います。悲願のJリーグ入りを成し遂げるためには年間成績4位以内をつかみ取ることが必要となります。

志高くチームは一丸となりスタート。2014年3月16日、静岡県Honda都田サッカー場、記念すべき開幕戦となったファーストステージ第1節対HondaFC戦のスタメンは一森純(現:J1/ガンバ大阪)・高田健吾(現:広島県/福山シティFC)・池永航(現:JFL/FC大阪)・菊本侑希・内山勇斗・鳥養祐矢(現:J2/FC琉球)・岩渕良太(現:J3/藤枝MYFC)・馬場悠・平林輝良寛・島屋八徳岸田和人選手の11名です。『Jへの門番』と言われるHondaFCはやはり強かったですね。ゲームは1―3で負け開幕戦を勝利で飾ることはできませんでした。

JFL初勝利となる先制ゴールを決めた島屋選手を祝福するイレブン/2014年3月22日/vs栃木ウーヴァFC(2-0)

 第2節からは4連勝したものの上位チームにはなかなか勝ち切れず7勝1分5敗でファーストステージは6位と苦しみました。6月29日に行われた山口県選手権大会決勝でも徳山大学に競い負け敗退、6月はやや心が重くなる月となりました。中断期間を経て迎えたセカンドステージではチーム戦術も浸透する中、宮城雅史選手(現:J3/テゲバジャーロ宮崎)、小池龍太選手(現:J1/横浜F・マリノス)、小塚和希選手(現:J1/川崎フロンターレ)たちの躍動もあり9勝2分2敗で乗り切り2位でフィニュシュ。7月26日に行われたセカンドステージ第2節鹿児島ユナイテッド戦での勝利が大きかったように思います。宮城雅史選手の2得点、岸田和人選手の1得点で3―0の完封勝利を収め、その後好調な流れに乗り6連勝と順調に勝ち点を積み上げていきましたからね。11月9日の最終戦、栃木ウ―ヴァ戦のスタメン11名は一森純(現:J1/ガンバ大阪)・宮城雅史(現:J3/テゲバジャーロ宮崎)・小池龍太(現:J1/横浜F・マリノス)・池永航(現:JFL/FC大阪)・山崎侑輝・鳥養祐矢(現:J2/FC琉球)・岩渕良太(現:J3/藤枝MYFC)・小塚和希選手(現:J1/川崎フロンターレ)・平林輝良寛・島屋八徳岸田和人選手です。

前半終了間際に奪った岸田和人選手のゴールを粘り強く守り切り1―0で勝利。ゲーム後は最高の笑顔に包まれていましたね。ファーストステージは6位に沈みましたがセカンドステージは佐川印刷京都に次いで2位、そして年間総合順位4位以内を確定させることとなりました。あとは理事会での承認を願うばかりの日々が続きます。なおこのシーズンのJFL最多観客動員ゲームは11月2日に維新百年記念公園陸上競技場で開催されたレノファ山口対HondaFC戦での4568人です。(試合結果は1―1)、本当に素晴らしい雰囲気でしたね。レノファはホームでの平均観客数も2000人以上を記録し昇格基準の条件をクリアすることができました。

試合を重ねるごとにゴール裏のサポーターも増加

リーグ得点王には17得点挙げた岸田和人選手が輝きました。またJFL選抜チームの海外遠征メンバーに一森純・鳥養祐矢・岸田和人選手の3人が選出され貴重な経験を積みチームに還元することとなりました。帰国後、西京高校校長室に遠征の報告とお土産を持ってきてくれたことがつい昨日のようです。3人とも目がギラギラ輝いていましたらね。

2014年JFLベストイレブンには一森純・岸田和人選手が選出され、2人とともに福満隆貴選手(ヴェルスパ大分:現ジェフ千葉)も選ばれています。福満選手は得点ランキングでも岸田選手に次ぐ13得点を記録しています。2015年からはレノファに加入して大活躍してくれましたからね。

2014年11月19日のJリーグ理事会においてレノファ山口の「J3入会」が承認され2015年シーズンのJ3入りが正式決定しました。夕方には村井チェアマンから河村孝社長に吉報が届きました。記者会見場で河村社長がお祝いの花束を手に満面の笑みで受け答えしていたシーンは長く苦労してきた分、喜びがにじみ出ていました。レノファ山口のアンテナショップには「J3昇格!!遂にJの舞台へ!」という文字が張り出されました。ファン・サポーター・スポンサー・選手・監督・スタッフそして地域・行政、これまでクラブに関わったすべての人たちの力でついに「Jの舞台」にたどり着きました。空を見上げ大声で叫びました、”ミヤ、やっとここまで来たぞ”。

JFL4位となりJ3昇格を確定させた/2014年11月9日/vs栃木ウーヴァFC(1-0)

山口県内に初のプロサッカークラブが誕生、チーム創設10年目となる2015シーズンは、いよいよJリーグの舞台で並みいる強豪クラブに戦いを挑むことになります。オール・レノファ山口の熱い思いは脈々と引き継がれていくこととなります。

第8話 2013年

桃栗3年レノファ8年
全社優勝、いよいよJFLの舞台へ!

 果樹を植えてその実がなるまでには相応の年月を待たなければならないと言われます。何事も成就するまでには歳月がかかります。桃栗3年柿8年レノファもチーム創設から8年目、2012年限りで現役を引退した中山元気選手が新監督に就任河村孝前監督が新GMとして手腕を発揮することとなり新体制で”Jのつく場所”へ心一つに挑戦することとなります。

 チームスローガンは「異体同心」、チームエンブレムも一新されました。チームの意識改革と会社組織構築が着実に進められる中、現状維持はもちろん後退も許されないシーズンがスタートします。
 2009年から4年間レノファ山口のために戦い続けてくれた伊藤博幹選手が退団、ゲームでアクセントを加えてくれていた児玉光史・中村優太・佐久間大樹選手たちもチームを離れました。そして新たに平林輝良寛選手(ツエーゲン金沢)飯塚亮選手(カマタマーレ讃岐)馬場悠選手(ファジアーノ岡山ネクスト)孫正倫選手(アビスパ福岡)たち14名が加入、6月には岡本秀雄選手(カマタマーレ讃岐)が加わり勝負の年を駆け抜けることとなります。

このシーズンからサポーターと踊る勝利後のラインダンスが定番に。

 4月6日/7日集中開催となった開幕戦でJXエネルギー水島に2―2の引き分け、やや不安なスタートとなりました。その後は勝ち星を重ねることができましたが難敵である佐川急便中国には2戦ともスコアレスドロー、優勝を争うファジアーノ岡山ネクスト・デッツォーラ島根戦はともに1勝1敗と勝ち越すことができませんでした。

 引き分け3試合が最後まで響き、最終成績は13勝3分2敗・勝ち点45で3位という厳しい結果となりました。15勝2分1敗で勝ち点47を獲得したファジアーノ岡山ネクストが優勝を飾りましたが、この勝ち点5という差は大きな差なのでしょう。(なおファジアーノ岡山ネクストは全国地域リーグ決勝大会での準優勝により次年度からJFL自動昇格)

9月14日、初のナイターゲームでは過去最高の3,750人の観客を記録(vs.デッツォーラ島根)

 山口県選手権大会では決勝で徳山大学に勝利して2年ぶりに天皇杯に出場しました。9月1日の1回戦、勝利を目指して秋田に乗り込みましたがブラウブリッツ秋田に0―2で負け、2回戦進出とはなりませんでした。秋田の守備陣には初田真也選手(現在:レノファ山口事業部)島川俊郎選手(2016年レノファ山口、現在:J1サガン鳥栖)がいてレノファの攻撃を抑えていましたからね。懐かしさや縁を感じています。

 中国リーグでは3位という成績であったため全国地域リーグ決勝大会へ出場するためには全国社会人大会で優勝するしかないという状況下、日々のトレーニングが積み重ねられていきます。(7月に開催された中国社会人大会では広島県の会場に多くのサポーターが現地集結、選手たちは心強い声援を力にして中国社会人大会を突破)

 2013年10月19日から島原市/雲仙市を中心に開催された全国社会人サッカー選手権大会、優勝するには5日間勝ち続けるしかないという過酷な戦いです。1回戦はtonan前橋に3―2、2回戦は新日鐵住金大分に3―1、3回戦は浦安SCに1―0、準決勝ではFC岐阜SECONDに2―0で勝利して、いよいよ決勝戦。
 10月23日島原市営陸上競技場においてレノファ山口に新たな歴史が刻まれることとなりました。グルージャ盛岡との一戦は激闘となり1―1で延長戦に突入、延長でも決着がつかずPK戦に。レノファは飯塚亮・高田健吾・碇野壱馬・馬場悠、平林輝良寛選手5人全員が決めて5―4で勝利、悲願の優勝をつかみ取りました。平日にもかかわらず現地には多くのサポーターが集結、みんなが抱き合い笑顔の花が咲き誇りました。

【※レノファは次年度からJFL参入となったため、中山元気監督はレノファ史上唯一の全社優勝監督となります。】

 全国社会人大会優勝という快挙を成し遂げましたが、個人的には1回戦tonan前橋戦での後半70分にキム・ドフン選手が決めたゴールがチームに勇気や元気、決してあきらめない勝負魂をもたらしてくれたと思っています。前後半で2失点を喫してしまい会場には前橋勝利という雰囲気が流れていました。しかしキム・ドフン選手のゴールから流れは一転、4分後には高田健吾選手が同点ゴール、そして終了間際にオウンゴールを奪い見事な逆転勝利!この勢いで一気に優勝まで駆け上がった感があります。

全国社会人サッカー選手権大会優勝を果たし、歓喜に湧くレノファイレブンとサポーターの皆さん

 2回戦観戦後の帰路、羨ましい情景を目にしました。その日はJ2リーグV・ファーレン長崎対FC岐阜戦が長崎県立総合運動公園陸上競技場(現トランスコスモススタジアム長崎)で開催、多くのサポーターが長崎ユニを着て楽しそうに会場に足を運んでいました。地元ラジオで生放送中継もされており、『いつの日かレノファもこんな風景のなかJリーグで戦えたらいいな』と願いつつ運転していたのがつい昨日のようです。

 11月8日から3日間、全社優勝により出場権を獲得した全国地域リーグ決勝大会(1次ラウンド)に臨みました。初日のヴォルカ鹿児島戦は福原康太選手のゴールで先制したものの逆転負け、2日目はFC大阪に完封負け、最終日にはマルヤス工業(愛知)に2―2からPK勝ちしましたが残念ながらグループ3位となり予選ラウンドで敗退することとなりました。全国地域リーグ決勝大会において結果を残すことはできませんでしたが、全社で優勝することにより得たものも多くあります。これからも目標に向かって全力を尽くすのみです。

 2013年はJ3新設が発表されてレノファ山口も参入に向けて諸々の準備や体制づくりが進められました。8月にはJリーグ準加盟クラブとして承認されていましたが、残念ながら「J3入会審査に及ばず」ということとなりました。しかしながら8年間の積み重ねに対して吉報が届きます。12月にJFL入会希望申請チーム枠の1つとして「2014年からのJFL入会」が承認されました。レノファ山口に関わる全ての人たちにとって「喜びに涙する日」となりました。

 2012年4月末のミヤ(宮成隆:前GM)からの電話「がんという診断結果を知らされました。山本さん、神様はいたずらじゃね。なぜ自分が・・」。入院先ではいつもパソコンとノートを開きレノファに関わるデータの打ちこみや分析をし「必ず元気になって戻るから。」と言い続けたミヤ、2013年6月9日逝去。涙が止まりません・・・。2005年秋からレノファ山口立ち上げに尽力し人生をレノファのJ昇格に懸けて全力で駆け抜けていきました。全社優勝やJFL昇格に大きな力を与えてくれた初代監督宮成隆を忘れることはありません。レノファ山口の歩みは宮成隆の歩みでもあり、これからもずっと一緒に歩んで行きます。

 いよいよ2014年シーズンは”JFL”の舞台へ、ひるむことなく勇気をもってチャレンジできるステージに歩を進めます。チーム創設から8年、オレンジの実がふくらみ始めました。志高くレノファ山口の挑戦は続いていきます。

第7話 2012年

クラブ変革の2012シーズン
意識改革と組織構築!

 前年度は中国リーグを含めすべての大会において悔いの残る厳しいシーズンとなりました。山口国体終了後にはレノファ山口の存続に関して厳しい意見交換もなされましたが、苦しい状況下においても山根幹夫代表を中心に「止まるわけにはいかない。前に進んでいこう!」とファイティングポーズをとり続けていきます。

 レノファ山口7シーズン目は河村孝新監督(現在レノファ山口代表取締役社長)が就任してリーグ制覇・JFL昇格を目指すこととなりました。宮成隆GMが引き続きチーム全体を統括することとなります。これまで中心選手として戦ってきた安田忠臣・藤井仁詩・柏原渉・大野達也・吉田健次郎・市原大嗣・中川心平・沖田康佑選手たちが引退や移籍等でチームを離れ、新たにデッツオーラ島根から前田昇吾選手、日本経済大学から坂本博選手、韓国:水原大学から金道訓(キム・ドフン)選手らが加わりました。2006年創設から2011度までは毎年多くの選手が登録されていましたがこの年はメンバーもかなり絞られました。立ち上げ当時から在籍した選手もいなくなり所属する選手たちのサッカーに懸ける意識も徐々に変化していくこととなりました。
 チーム代表/山根幹夫、監督/河村孝、主将/伊藤博幹、登録選手21名(4月10日時点)で群雄割拠のリーグに臨むこととなります。<2012中国リーグは日立笠戸とSC鳥取ドリームス(ガイナーレ鳥取の前身であったSC鳥取のOB中心のチーム)が昇格し10チーム編成。>

2012シーズン選手&スタッフ集合写真

 4月14日・15日の集中開催となった開幕を2連勝でスタートしましたが第3節の松江シティ戦では主導権を握られ1対2の敗戦。シーズンを通して引き分けゲームが多く9月の集中開催となった終盤4試合は3分け1敗と厳しい結果となり最終成績はデッツオーラ島根、ファジアーノ岡山ネクスト、松江シティに次いでの4位と沈みました。特に9月22日・23日やまぐちサッカー交流広場での集中開催ラスト2連戦を2分けと勝ち切ることができず、最後まで温かく時には厳しく背中を押してもらったファン・サポーターの期待に応えることができませんでした。

シーズン開幕戦を勝利で飾りサポーターの皆さんと喜びをわかちあうレノファイレブン(vs.SC鳥取ドリームス 5-0/2012年4月14日 呉市総合スポーツセンター多目的グラウンド)

 天皇杯予選となる山口県選手権大会では決勝戦で徳山大学に競り負けて天皇杯出場ならず。
 全国地域リーグ決勝大会への出場枠獲得のために一縷の望みを懸けて臨んだ全国社会人大会では10月13日の1回戦は勝利しましたが翌日の2回戦で沖縄海邦銀行サッカークラブに0-3と完敗。10月14日をもって7年目の戦い、2012シーズンは幕を下ろすこととなりました。

全国地域リーグ決勝大会出場をかけて挑んだ全社は2回戦で敗退(vs.沖縄海邦銀行サッカークラブ 0-3/2012年10月14日)

 前年に続き短いシーズンとなりましたが、チーム・選手にとっては意義ある2012シーズンとなったのでは・・・。
シーズン途中からは中山元気選手が実質コーチ役として試合に臨むようになり、すでに次年度以降を見据えてのチーム作りが進められていたのではと思います。
 レノファの戦いはもちろん結果がすべてであることは間違いありませんが選手たちの意識改革や行動変容、クラブのビジョンや目指す方向性がより具体的に見え始めてきた1年になりました。チームスタートとなった初日のミーティングでは河村孝監督からこれまで6年間の分析及び課題抽出、チーム及び選手の意識やピッチ内外における取り組みの甘さ、サッカー選手としての心構えやJのつく場所に行きつくことがどれほど厳しい道のりなのか等々、強い口調で所信表明とチーム改革方針が語られました。私はこのミーティングこそが、レノファ”J”昇格のターニングポイントの1つであったと確信しています。

 リーグ戦が始まって間もない4月末、職場の机上に置いていた携帯電話にミヤ(宮成隆GM)からの着信が何度もあったことに昼過ぎに気づき、いつものゲーム運営の話かなと思い連絡を入れました。「がんという診断結果を受けました。僕は何も悪いことしていないのに、なぜ?」。
 しばらく返す言葉が出てこなかったことを覚えています。それから2日後に宮成宅に行き二人でいろいろと話をしました、というよりずっと話を聞いていました。その後は入院先に見舞いに行き話すことになりました。いつもベットの上でパソコンを開きレノファに関わるデータの分析内容を話してくれました。帰り際にはいつも「必ず元気になって現場に戻るから。レノファ頼みますよ。」と。体調に気を付けながら可能な時には奥様の運転する車で試合会場に来てGMとしての業務を遂行するというレノファのために全てを懸けている姿がそこにはありました。
 シーズンオフとなった11月には河村孝監督がGMに就任、4年間プレーした石原正康選手は引退して運営母体である山口アスレチック・クラブに入社し業務統括本部長に、柴田勇樹広報部長が加わるなどクラブ組織編成は一気に加速していくこととなります。

シーズン途中からはコーチングスタッフとしてもチームを牽引した中山元気選手

 高く飛ぶためには低く低くかがむことが必要です。2012シーズンはしっかりとかがんだ1年であったとするためにも次年度が勝負の年となります。レノファに関わる関係者みんなでミヤの回復を願うとともにレノファ8年目のチャレンジに向けて力強く歩を進めることとなります。

第6話 2011年

チーム力アップした月岡監督体制
2年目の勝負に懸ける

前年度には2年ぶりに中国リーグ制覇を果たすとともに3年連続全国地域リーグ決勝大会へ出場しましたがJFL昇格は叶わず。チーム立ち上げからの5年間の悔しい結果を胸に2011シーズンは「Go For All」を新たなスローガンとして月岡利明監督体制2年目がスタートします。山口国体優勝そしてJFL昇格という目標達成に向けて実績のある選手たちが加入してきました。その中でもサガン鳥栖から市原大嗣選手、ジェフリザーブスから高田健吾選手、吉備国際大学から上垣卓也選手、福山大学から寺田賢人選手、そして山口県出身Jリーガーである闘魂ストライカー・中山元気選手(現在はレノファ山口のトップチームコーチ)が湘南ベルマーレから加入し戦力はさらに充実してきました。このシーズンから主将には福原康太選手が就きチームをけん引していくことになります。山口教員団やレノファ山口、山口県国体選抜選手として長い間山口のゴールマウスを守ってくれた前主将の澤野晃士選手が引退しファン・サポーターは寂しさを感じることとなりましたが、西川充選手を中心として正GK争いは激しくなってきました。

2011シーズン選手&スタッフ

中国リーグは各県各チームも着々と戦力補強をしてきており厳しいリーグになってきている中、レノファは連覇を目指して開幕戦を迎えました。

4月25日岡山県美作ラグビー・サッカー場での三菱自動車水島FC戦は0-1と競い負け黒星スタートとなりました。第2節以降は攻守に安定したしっかりとした戦いが続きましたが、何よりも宿敵であるデッツォーラ島根には2戦2敗と勝つことができず最終成績は13勝2分3敗で2位となり全国地域リーグ決勝大会への出場は閉ざされてしまいました。もちろん優勝はデッツォーラ島根、9月25日島根県浜山公園陸上競技場での最終戦デッツォーラ島根に負けた後のロッカールームは何とも言えぬ重苦しさに包まれたことを覚えています。

2011.9.25 中国リーグ最終戦(vs.デッツォーラ島根)

山口県選手権大会では徳山大学に勝利し3年連続で天皇杯出場。今年も勝ち上がってJリーグチームに挑みたいとの強い思いで臨んだ9月4日の1回戦ファジアーノ岡山ネクストとの戦いは1-1で延長に入り延長では互いにゴールを奪い合い2-2と決着がつかずPK戦に突入。岡山ネクスト5人全員が決めたのに対してレノファは1人が決めることができずに悔しいPK負け、この年のJチームに挑むチャンスは消滅しました。

2011.9.4 天皇杯1回戦(vs.ファジアーノ岡山ネクスト)

全国社会人大会出場を目指した中国地区予選では松江シティ相手に勝ち切ることができずに2回戦で敗退。

優勝及び天皇杯得点獲得を目指して臨んだ第66回国民体育大会おいでませ山口国体では10月2日、1回戦で鹿児島県チーム(鹿屋体育大学)に4-2で完敗を喫しました。劣勢の試合展開の中、中山元気選手が先制ゴールを奪うも前半に同点にされ、後半は完全に鹿児島県が主導権を握り3得点。終了間際に福原康太選手が意地の1ゴールを奪いましたが時すでに遅し、まさかの初戦敗退となりました。(※国体にはレノファ山口の選手を中心として山口県選抜チームとして出場。開催県枠のため中国地区予選は免除。)サッカー競技における山口県チームは成年・女子・少年男子の3部門全てにおいて1回戦で敗退するという厳しい結果になりました。山口県全体のサッカーレベルの向上及び活性化のためにもその一方策としても「山口県にJリーグチームが必要である」と強く感じさせられることとなりました。

2011.10.2 山口国体1回戦(vs.鹿児島県チーム)

“今季こそは”と強い気持ちで臨んだ2011シーズンでしたが9月25日には戦いの幕を下ろすこととなり、結果だけを見るとあらゆる面において力不足という厳しいシーズンとなりました。

選手は毎年入れ替わり年を重ねるごとにJリーグ・JFL経験者も所属していく中でコーチや運営担当等は2006年の立ち上げからほぼ変わらずに活動してきており、今後は専門的なスタッフへと刷新していかなくてはいけないという大きな課題も浮き彫りになってきています。

月岡利明監督は2011シーズンをもって退任することとなりました。月岡監督が在任2年間でレノファ山口の成長を推し進めながら選手及びチームに変革をもたらし始めてくれたことは間違いありません。月岡利明監督に感謝!

立ち上げから6年間でチームの1本1本の枝は育ちつつある中、レノファ山口という大木の中心に強くて太い幹を通すため体制の見直しを図り次シーズンに向かうこととなります。

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