TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

山本アンバサダーコラム

レノファの母体となった県サッカー教員団でDFとして国体に3度出場。1990年から16年間は監督を努め、チームを天皇杯に4度導いた。2006年のレノファ山口設立のメンバーの一人で、現在もクラブの「アンバサダー」としてホームゲームの運営やPR活動に携わる。2021年4月、取締役に就任。教師としては萩商工高、下関商業高、西京高の校長などを歴任し、山口高時代はレノファの河村孝社長の担任を努めた。選手たちとも親交が深く、オフは一緒に出かけることも。

第10回 2015年

“強い向上心”胸に駆け抜けたシーズン
メークドラマは劇的同点弾で完結!
歓喜のJ3優勝・J2昇格をつかみ取る!!

山口県内初のプロサッカークラブが誕生、チーム創設10年目となる2015シーズンは、いよいよJリーグの舞台に戦いの場を移すこととなります。

上野展裕監督体制2年目、チームの顔ぶれは大きく変わりました。前年度までともに戦ってきた20名の選手たちが移籍や退団することとなりチームを離れていく一方、JFLやJチームから高みにチャレンジしようとする選手たち、そして新進気鋭大学卒7名の選手たちが加入してきました。向上心に満ち溢れた選手たちの集団となっていきます。

2015シーズン選手&監督

2年目のシーズンを迎えたJ3リーグは13チームによる3回戦総当たりで行われることに。全39節において36試合戦う中、Jリーグ・アンダー22選抜との3試合は各チームにとってポイントになるとともに難しいゲームになりました。U22は毎回メンバーが変わるということもあり得失点差に影響を及ぼすゲームも結構ありました。【レノファの対戦成績は8-0、3-0、0-0の2勝1分けで得失点+11】しかしU22選抜のメンバーの多くが現在J1・J2で活躍していることを考えると意義あるものだったと思います。

レノファ山口の記念すべきJ3リーグ初戦はガイナーレ鳥取との開幕戦、スタメンは一森純(現/J1ガンバ大阪)小池龍太(現/J1横浜Fマリノス)池永航(現/JFL・FC大阪)宮城雅史(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)香川勇気(現/J1大分トリニータ)鳥養佑矢(現/J2琉球)福満隆貴(現/J2ジェフ千葉)庄司悦大(現/J2京都サンガ)小塚和季(現/J1川崎フロンターレ)島屋八徳(現/J2レノファ山口)岸田和人(現/J2レノファ山口)選手ら11名のオレンジの勇者たちです。そしてベンチメンバーには森田耕一郎、黒木恭平(現/J2京都サンガ)廣木雄磨(現/J2ファジアーノ岡山)松本翔(現/JFL・MIOびわこ滋賀)、キャプテン・平林輝良寛選手たち5人。ホーム維新において2-1と競り勝ちレノファ史上記録と記憶に残る勝利を収めています。開幕からJ3リーグを席巻し第1クールは10勝2敗、第2クールは10勝1分1敗と圧倒的な攻撃力を魅せつけ驚異的なペースで勝ち点を積み上げていきました。2010年に長野パルセイロから加入し地域リーグ、JFLを戦い続けてきた碇野壱馬選手がJ初出場を果たし3-0での完封勝利に貢献した5月31日のU22戦は感慨深いものがありました。

岸田選手が9試合連続ゴールを決め、Jリーグ記録を更新(7/29 vs福島ユナイテッドFC/3-0/維新百年記念公園陸上競技場)

優勝をつかみ取るための試練となってくる第3クールはブラウブリッツ秋田、カターレ富山に連敗し苦しいスタート、町田ゼルビアの猛追が日増しに気になるようになってきました。そして9月20日、アウェーに乗り込み町田との直接対決。ここまで町田には2連敗しており厳しい戦いが予想されていましたが3-1で勝ち町田から初勝利を挙げました。(※上野監督がシーズンを振り返りターニングポイントの1つであったという試合です。)

“よし、これで大丈夫だ”と言い聞かせ3日後アウェーでの福島ユナイテッド戦に参戦。島屋八徳選手のゴールで先制したものの後半に逆転されてしまい1-2で敗戦。町田~福島とアウェー2試合に集結した多くのサポーターは、わずか4日間のうちに大きな喜怒哀楽を味わうこととなりました。悔しさを引きずることなくチームはしっかりと気持ちを切り替えその後3連勝。“よし、今度こそこれで大丈夫だ”と思った矢先、ホーム維新で長野・藤枝に連敗を喫してしまい、いよいよ町田ゼルビアと勝ち点が並び残り3試合でのマッチレースとなりました。第37節レノファは勝ち〇/町田は引き分け△、第38節レノファは引分け△/町田は勝ち〇。2チームが勝ち点77で並走、得失点差でレノファが首位(町田との得失点差は26あり)、最終戦でレノファが勝てば優勝決定となりますが引分けもしくは負けた場合、町田の結果次第で逆転されるという状況。※J3の2位となればJ2の21位チームとの入れ替え戦となります。

11月23日運命の最終戦(選手たちは人生を懸けて)となる第39節ガイナーレ鳥取戦、会場となったとりぎんバードスタジアムには大勢のレノファサポーターが集結しました。

♪俺たちとともにJ2に行こう、おーレノファ♪

スタメンは一森純(現/J1ガンバ大阪)小池龍太(現/J1横浜Fマリノス)代健司(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)宮城雅史(現/J3・テゲバジャーロ宮崎)香川勇気(現/J1大分トリニータ)黒木恭平(現/J2京都サンガ)福満隆貴(現/J2ジェフ千葉)庄司悦大(現/J2京都サンガ)小塚和季(現/J1川崎フロンターレ)島屋八徳(現/J2レノファ山口)岸田和人(現/J2レノファ山口)選手、11名のオレンジの志士たちです。そしてベンチメンバーには村上昌謙(現/J1アビスパ福岡)、鳥養佑矢(現/J2琉球)廣木雄磨(現/J2ファジアーノ岡山)、原口拓人(現/JFLヴィアティン三重)キャプテン・平林輝良寛選手たち5人。試合は開始早々に失点、岸田選手の同点ゴールで追いつくも後半に勝ち越し点を奪われて窮地に。リードを許し1-2の劣勢崖っぷちで迎えたゲーム終盤(少し前に試合が終わった町田が引き分けたためこのままでは2位に沈むことに)、アディショナルタイムが刻々と進む中(人生でこれほどまでに時間よ、進まないでくれと念じたのは初めてです。)、上野監督が「点を取ってこい」とピッチに送り込んだキャプテン平林輝良寛選手が値千金劇的な同点ゴールを決めその直後に試合終了。優勝を告げるホイッスルが鳴った瞬間、歓喜の声が大空に響くとともに涙と笑顔のレノファコール。こんな奇跡と感動のゲームをともに戦ってくれたミヤ(故宮成隆初代監督)に「ありがとう。ついにここまで来たぞ!」。試合後のセレモニーで村井チェアマンから平林キャプテンにシャーレが授与されJ3優勝とJ2昇格権利を手にした瞬間、監督・選手・スタッフたちもピッチ上で無限の喜びを爆発させていました。(なお町田ゼルビアは入れ替え戦で大分トリニータに2戦2勝して4年ぶりJ2復帰。翌年からレノファVS町田ゼルビアは激闘を演じ続けています。)

J3優勝を決め歓喜に湧くレノファイレブン

優勝後、筆者と小塚選手(現川崎フロンターレ)が固い握手を交わす

至福の幸せと大きな感動をお土産にしての帰路、鳥取から山口までの中国自動車道はまるでレノファ山口・ビクトリーロードになっていました。どこのサービスエリアもレノファ・ユニに身をまとったサポーターで盛り上がっていました。

年間成績は25勝3分8敗・勝ち点78・得点96失点36(得失点差+60)。圧倒的な攻撃力でファン・サポーターを楽しませてくれました。得点ランキングでは岸田和人選手(32点)、福満隆貴選手(19点)、島屋八徳選手(16点)の3人が上位を占めました。第2節から首位の座を一度も譲ることなく走り続けての優勝、見事な戦いを演じ駆け抜けたJ3シーズンとなりました。

山口県選手権大会はしっかりと勝利して天皇杯に出場、しかし天皇杯1回戦では長野パルセイロに0-1で負け。J3優勝に酔いしれるため天皇杯の話は割愛させていただきます。申し訳ございません。

3年連続して上位リーグへの昇格(2013年に地域リーグからJFLへ、2014年にJFLからJ3へ、2015年にはJ3からJ2へ)を果たしたレノファ山口は勢いを持ち来季からJ2の戦いに挑んでいきます。


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