TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

「昇格」の難しさと憧れ

澤野晃士さん(レノファ山口FC2代目主将)Koji Sawano

私とレノファの出会い

私がレノファ山口に入団したのは発足元年の2006年でした。宮成隆さん(以下、宮さん)に誘われて山口県サッカー教員団でプレーしていた私を誘ってくれました。南陽工業高校近くのジョイフルでコーヒーでも飲みながらと、宮さんが「Jリーグに参入するチームを作りたい。力を貸してくれと!」と力強く語ってくれました。そんな宮さんはドリンクバーのシステムが分からなかった様で、弱弱しく「コーヒーの入れ方が分からないから、入れてきてくれ。」と恥ずかしそうに頼んだ宮さんが素敵だった事を今でもよく覚えています。

 発足当初は教員団の流れから、意識も低く中国リーグで苦戦続きでした。だけど、「Jリーグに参入する」という目標は私が一度諦めた夢だったことも手伝って、チームを強くしたい、GKとして成長したいというモチベーションには十分であり、勝敗に限らず、未来に向かって不断な努力を継続できたことは、レノファ山口に感謝しています。

2006シーズン選手&スタッフ集合写真(レノファ山口発足メンバー)

 2008年から志の高い選手が沢山、入団してくれました。福原康太、戸高研太、安田忠臣、多久島顕吾、意識の低いチームに大きな刺激を加え、初の中国リーグ優勝に導いてくれました。

レノファ山口には2006年から2010年まで在籍。不動の守護神としてチームを支えた。

昇格の難しさと憧れ~経験という財産~

中国リーグを優勝して、初の地域決勝大会に臨むことができました。予選ラウンドは、静岡FC、グルージャ盛岡、松本山雅と強豪チームばかりで1敗もできない、中休みもない非常に厳しいものでしたが、全勝し決勝ラウンドに進むことができました。その勢いのまま、決勝ラウンドを突破しJFL昇格に手が届くところまで来ました。しかも、3戦中、1勝でもすれば3位以内に入れる可能性が高いこともあって、自信をつけていたレノファが昇格できると信じていました。結果は0勝でJFLに昇格出来ないという結果だけでなく、1得点もできず、3戦ともに攻守において主導権を握られ続けるというショッキングなものでした。ただ、なぜほかの3チームと大きな差があるのか、1戦目の町田ゼルビアの試合で理解できていました。町田はレノファの特徴ややり方を分析し、ストロングとなる部分を徹底的に潰してきました。セットプレーは巧みで、私たちが重視していないことを徹底的に細かい部分まで追求していました。そして、レノファ山口以外の3チームには石垣島という遠方にも関わらず、サポーターが応援に来られていました。技術や戦術だけでなく、「クラブとして大きな差」を感じるものでした。2008年の地域決勝は当時、色々な解釈をされましたが、決勝ラウンドだけみれば間違いなく差がありましたし、あの大会を通じて「昇格」する難しさをクラブは経験できました。私が在籍している時に昇格を果たせなかったことは心残りですが、あの時の経験はクラブにとって私にとって大きな財産になっていると思います。

2008年全国地域リーグ決勝大会決勝ラウンド(沖縄県石垣島にて)

もう1つの財産として、2009年には天皇杯2回戦で川崎フロンターレと対戦し、J1リーグのスタジアム、サポーターの素晴らしさに触れることができました。サポーターと運営スタッフが作り上げる、素晴らしい雰囲気は私が、当時のレノファが知らなかった世界でした。敗戦したレノファに温かいエールを送ってくれたことは私のサッカー人生1番の思い出になりました。スポーツの素晴らしさを山口と川崎の選手、サポーター、運営スタッフ全ての人で実現できるのだと感じました。いつか山口県にもこの感動をスポーツの持つ力を伝えたい。だからこそ結果を出すしかなかったし、結果を出すために自分の出来ることを精一杯考え、行動しました。

天皇杯2回戦で川崎フロンターレと対戦(2009年10月11日)

現在の私とこれからのレノファ

現在の私は山口県立光高等学校で保健体育教諭として、担任として教壇に立っています。また部活動でサッカー部の指導も行っています。授業も部活も、これからの社会を支える人材育成にやりがいを持って勤めています。レノファ山口時代に得た経験を活かし、指導者としてアップデートを重ね、生徒の成長を目指していきたいです。

現在になって一層に思うことがあります。私が在籍している時に「昇格」は果たせませんでしたが、「昇格」のために精一杯考え、行動した事は現在のレノファと私に生きている。私だけでなく当時のレノファの選手、スタッフ、サポーター、スポンサー様、レノファが大好きな人たちの積み上げが今のレノファを作り上げているのではないかと。だから、今だけを観ないでもっと先を観て、今できることを皆が精いっぱいやれば、1年後、5年後、10年後、レノファ山口がJ1リーグで優勝できる日が来ると思っています。いつの日かレノファ山口と川崎フロンターレがJ1リーグ優勝争いを演じ、維新みらいふスタジアムで、あの時頂いた感動を今度は山口でお返ししたい。レノファも私も歩みを止めることなく、前進するのみです。


澤野晃士さん(レノファ山口FC2代目主将)Koji Sawano

1980年9月9日生。山口県出身。
徳山北高-中京大学-山口県教員団を経てレノファ山口入団。
181cmの長身と鋭い反応を生かした守備で、レノファ設立当時から絶対的な守護神として君臨。
幾多のスーパーセーブでチームを救った。2010年、レノファ山口2代目の主将に就任。
人望の厚さでチームを牽引した。
現在は、光高校保健体育教諭として教壇に立つとともに、サッカー部監督を務める。

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