TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

J1の舞台を夢見て

河村邦俊さん(レノファ山口FC公式記録員/元選手)Kunitoshi Kawamura

レノファ山口FC関係者の皆様、またサポーターの皆様、この度はレノファ山口FC結成15周年、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。

振り返ってみれば、レノファ山口FCの前身である山口県サッカー教員団には、東海大学を卒業してすぐに入団し18年間(1990年-2007年)選手としてお世話になりました。

偉大なる故宮成隆先生(レノファ山口FC初代監督)の背番号10を受け継ぎました。チームは入団した当時から中国サッカーリーグに所属していて、順位は中位から下位を行ったり来たり、県リーグに降格したりでしたが、私にとっての山口県サッカー教員団とはサッカーを通して人間形成をしていく土台となる活動場所でした。

 

時代はJリーグができ、代表はワールドカップにも出場し、日本のサッカーも躍進してきました。各都道府県では、J1、J2と徐々に増えてきましたが、山口県は少し出遅れ感があったと思います。そうしたときに山口県にもJリーグを!ということで山口県サッカー教員団からレノファ山口FCと名前を変えてJリーグに向かって進んでいったわけです。

レノファ山口FC初年度となる2006年はまだ身体が動いたので選手登録させていただきました。ただ当時は教員団の流れで登録者が多かったので中国リーグと県リーグに分かれて出場することになりました。私は初年度ケガもあり県リーグ登録で出場しました。県リーグでの初戦ですが確か協和発酵防府のグラウンドだったと思います。グラウンドはクレーで前日に降った雨のせいでぬかるみが所々にありました。その中で、味方からのセンターリングをヘディングでシュートしゴールを決めました。県リーグのほうですが、これが、レノファ山口FCとしてのファーストゴール⁈だと思います。そして試合も勝利しました。それから2年間プレーをして選手登録を終えました。

 

その後は、スタッフ(コーチなど)として少しばかりですがお手伝いをさせていただきました。2014年JFLに昇格すると専門の公式記録担当者が必要なので、記録の勉強をして公式記録のお手伝いを始めました。ありがたいことにそれ以降、J3→J2と公式記録担当として関わらせていただいています。試合には勝ち負けがありますが、正直負け試合の記録をつけるのは悔しいです。サポーターも勝ち点を望んでいます。現在J2ですが、いつもスタジアムが満席になるJ1で活躍している夢を見ながら公式記録の仕事をしています。

J1への昇格!この夢には山口県サッカー教員団及びレノファ山口FCに携わってこられた方々の思いが詰まっています。必ずこの夢をみんなで叶えていきましょう。そのためには皆さんのサポートが必要です。これからも、レノファ山口FCへの熱い応援をよろしくお願いします。また、レノファ山口FCの選手、スタッフの皆様におかれましては今後のさらなるご活躍ならびにご健闘をお祈り申し上げます。

山口県立山口総合支援学校 河村邦俊


河村邦俊さん(レノファ山口FC公式記録員/元選手)Kunitoshi Kawamura

1968年1月31日生 山口県山口市出身 山口農業高等学校→宇部中央高等学校→山口総合支援学校勤務
名田島小学校(山口サッカークラブ)-潟上中学校-山口高校-東海大学-山口県教員団-レノファ山口
レノファ山口が創設された年から2年間は選手として活躍。その後コーチングスタッフを経て、JFL昇格から現在までチーム運営スタッフ(公式記録員)として活動中。山口県サッカー協会第1種委員会(社会人)の事務局長としても活動中。

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