TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

原点を忘れず、
これからもレノファ山口と共に

山本 賢一朗さん(元 レノファ山口FCスタッフ)Kenichiro Yamamoto


レノファ山口創設15周年、おめでとうございます。

 令和3年2月28日(日)、レノファ山口にとって15回目の開幕戦でした。当たり前のようにわが街にレノファ山口というJクラブがあり、オレンジ色に染まったスタジアムで、Jリーグ観戦を楽しむ環境があるということに改めて幸福感を感じました。

 さて、私は、レノファ山口の創設から地域リーグ時代(2006~2012)は、コーチングスタッフとして、また、JFLからJ2時代(2013~2017)は、チームのホームゲーム運営スタッフの一員としてレノファ山口に携わらせていただきました。創設当初は、全選手&スタッフともに仕事を持ちながらの活動で、練習時間や場所も決まっておらず、仕事を終えて1時間以上移動して夜の練習に参加したり、時には、数人での練習も余儀なくされたこともありました。また、選手から部費も徴収して、チームの運営をしていました。しかし、宮成隆初代監督の熱い思いのもと、これから始まる新たな夢の実現に向けて、選手たちは、必死にトレーニングや試合に臨んでいました。今、思い返しても本当にみんないい顔をしていました。この時期の辛抱と努力の姿が現在のレノファ山口の原点、土台だと思っています。

2006年から2012年までコーチングスタッフとして活動

心に残る試合~ターニングポイント~

 私が特に印象に残っている試合の一つに、2008年、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会予選ラウンド(鳥取会場)最終戦での松本山雅(現J2)との試合があります。予選ラウンドで互いに2勝し、最終ゲームに勝利したチームが決勝ラウンド(石垣島)に進出できるという大切な試合です。当時の松本山雅は、参加チームの中でも圧倒的な力をもち、厳しい戦いになることは予想されていましたが、試合を重ねるごとにチーム力を上げてきたレノファ山口には、恐れるもの・失うものはありませんでした。相手に支配される時間帯は多かったものの、前半44分に柏原選手の得点で先制しました。しかし、その後49分に追いつかれ、そのまま1-1で試合終了。PK戦の末に勝利をおさめ、初の決勝ラウンド(石垣島)に進出を果たすことができました。冷たい雨の中でまさに激闘を制し、「俺たちにもできる!」を実感することのできた試合でした。1週間後の決勝ラウンドでは、1勝もできず敗退し、JFL加入は叶いませんでしたが、本気でJリーグをめざすためのチームとしての在り方について、再確認することができるターニングポイントとなる大会となりました。

 その後、2015年にJ3の優勝を決め、J2昇格を果たしたスタジアムが同じ鳥取とりぎんバードスタジアム(現:Axisバードスタジアム)であったことや、今シーズンの開幕戦の相手が松本山雅FCであったことも何かの運命を感じます。

第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会予選ラウンド最終戦(vs.松本山雅/とりぎんバードスタジアム)2008年11月24日

レノファでの出会いは、私の宝物

 レノファ山口での活動を通して、たくさんの人との出会いが私の財産となっています。私がサポートすることができた5人の監督からは、戦術やトレーニング方法だけでなく、プロ意識、こだわり、徹底したチーム作りについて、学ぶことができました。現在においても自分のコーチングやトレーニング実践にも役立っています。

 また、15年の歴史の中で、たくさんの選手たちがレノファ山口に所属してくれました。自分が大切にしていたことの一つは、試合に出るチャンスをなかなかつかめない選手たちのスキルやモチベーションをいかに上げて、チーム全体のレベルアップを図ることでした。特に大変だった時期は、アマチュア選手の中に、少しずつプロ経験のある選手が入ってきたころでした。監督と選手、選手同士でそれぞれの意見がぶつかる場面も少なくありませんでした。こんな時代があったからこそ今のレノファ山口というチームが存在していることには間違いありません。退団後も県内・県外で活躍している知らせを聞くと、本当に嬉しく思います。どの選手にも「自分もレノファ山口の一員だった」ということを誇りに思ってほしいものです。

 忘れてはいけないのがサポーターの皆さんの存在です。レノファサポーターは、選手だけでなく、スタッフである私たちにもいつも声をかけ、気を配ってくださいます。いつも共に戦ってくれる一番のエネルゲンでした。チームを離れた今 でも気軽に声をかけていただくこともあり、本当に温かさを感じます。これらの皆さんとの出会いは私の宝物であり、自分自身の成長にもつながっています。これからも大切にしていかなければならないし、いつか恩返しをしなければならないと思っています。

 

距離をとって見えるもの、わかるもの

 ここ3シーズンは、チームの運営からも離れ、少し距離を置いたところからレノファ山口と関わってきました。ピッチサイドではなく、スタジアムの観客席からサポーター目線で試合観戦をすることも多くなりました。選手の一生懸命なプレーからゴールが生まれ、勝利すれば歓声となり、不甲斐ない内容で負ければ不満やため息がこぼれる。本気で応援しているサポーターの姿を間近に感じ、レノファ山口が「わが街のJクラブ」としてしっかりと根付いていることを確信しました。だからこそ、まだまだこれからもっとよいJクラブに成長していかなければならないとも感じています。今では、試合後の帰り道でのレノファサポーターさんの会話を盗み聴くことが私の楽しみの一つになっています。

 

最後に…

 レノファ山口という素晴らしいチームに携わらせていただいたことに感謝しています。また、創設当初のことを知っている者が、現在もチーム・運営スタッフやスポンサー関係者としてチームに関わってくれていることが忘れてならないレノファ山口の原点を維持しているのだと思っています。

 これからも、レノファ山口が創設当初に掲げた「夢・感動・元気」を与えられる地域に根付いたJクラブとなり、通過点であるJ1昇格という目標が達成できるよう、全力でサポートしていきたいと思います。共に戦おう 勝利のために!

2011年山口県サッカー選手権大会優勝記念(前列左端が私)

山本 賢一朗さん(元 レノファ山口FCスタッフ)Kenichiro Yamamoto

1967年5月27日生 山口県出身 山口県公立小中学校教員、教頭・校長を経て現在は山口県教育庁勤務
山口高校-鹿屋体育大学-山口県教員団-レノファ山口
レノファ山口が創設された2016年から2012年までの地域リーグ時代はコーチングスタッフとして活動。
2013年から2017年までは、チーム運営スタッフとしてチームを支えた。
現在は、山口県成年国体選抜チームのコーチングスタッフとしても活動中。