TOP HISTORY 15年の軌跡 リレーコラム

酒とレノファと男と女

下川 直伯(レノファ山口FCサポーター)Naohiro Shimokawa

 すみません、私は何の変哲もないただの一サポーターですが、今回コラムを書く機会をいただきましたので、昔の思い出を少しつづってみようと思います。

 皆さんは初めて見に行ったレノファの試合を覚えてらっしゃいますか?私のレノファ初観戦は2007年の開幕戦(vs広島フジタSC)でした。

 それまで、広島や横浜といったプロスポーツのある街で暮らしてきて「地元にみんなで応援できるチーム・クラブがある楽しさ&面白さ」を体感してたので、就職で帰郷してからは「ふるさと山口県にも地元クラブがほしいなあ」と思いながら過ごしておりました。レノファの前身である山口県教員団がたまに天皇杯の県代表として出場したときは、維新公園まで見に行ったものです。今思うと、その当時対戦した福岡大学のDF坪井慶介選手が現役最後をレノファで迎えたことに不思議な縁を感じます。また、驚いたのは当時の教員団にも太鼓と旗で応援するサポーターが二人ほどおられたことです。数年後にそのお一人と一緒にレノファを応援することになるわけですが。

 2006年、レノファ発足のニュースには大いに心を動かされましたが、仕事や育児などで多忙だったこともあり現地観戦に行くことはありませんでした。その年は、山口ケーブルビジョンの番組『ネッチリ!』でレノファのホーム試合がダイジェスト放映されてまして、当時の宮成監督が高度で専門的かつ辛口な解説をされてたのを思い出します。

 そして2007年春、職場の同僚から「昨年レノファ観戦に行ったことあるけど面白かったよ」と聞いた私は、開幕戦を見に行ってみることにしました。会場はホーム維新公園ラグビー・サッカー場。公式サイトを開くと「開幕戦からレプリカユニフォーム販売開始!(先着順)」とあったので、「これは速攻で売り切れるのでは?」「早く行かないと買えないぞ」と心配しながら現地に駆け付けたところ、販売列に並んでたのは10人程度。購入したばかりのユニを着て観客席に行ってみると、太鼓や旗を持ったサポーターらしき人たち7~8人の一団がおり、そこにひっそり混ざって一緒に応援することにしました。

 当時のレノファ応援は(今もそうですけど)、いいプレーをした選手にはすかさずコールを入れ、ゲームの展開に応じてチームチャントをどんどん切り替えてくというスタイル。なので前半が終わる頃には、選手の名前もチャントも大体覚えることができました。

 さらには、サポーターみんなが絶妙なタイミングで次々とコール・チャントを入れてたのも軽く衝撃でした。サッカー応援では、たいてい特定の一人がコルリ(コールリーダー)として応援をリードしていくものですが、当時のレノファサポは言ってみれば全員がコルリというかなりフリーダムなシステム。今思うと、それができてたのも他サポ経験のある人ばかりだったのと、まだ人数が少なかったからではあるんでしょうけど、そんなわけで後半からは私もどさくさに紛れて何回か選手コールを入れてみました(覚えたばかりのチャントをいきなり入れる勇気はまだなかった!)。それに加え、愛する地元「山口」の名前を他の人たちと一緒に大声でコールするのもまた、新鮮な喜びでした。

 何試合か見に行くうちに、まだ数は少なかったサポさんとも徐々に顔なじみとなっていき、レノファ1年目(2006年)の話をお聞きする機会もありました。ある先輩サポさん曰く、2006年の初ホームゲームの後、初対面同士だったサポーター数名で話をしていたところ、クラブスタッフから声をかけられ維新ラグサカ会議室でミーティングを行い、

  1. レノファを応援する志を持った人は拒まない
  2. 何があろうが分裂応援はしない
  3. サポーターサイトを開設しよう

との合意に至ったんだそうです。これがまさにレノファサポの原点ですね。(ちなみにこの時レノファ公式サイトはまだ存在せず、サポーターサイトの方が先に開設されたのだとか。)

 2007年で忘れられないのは、大卒ルーキーだったDF藤井ヒトシ選手です。きらら博記念公園でのJFE西日本戦に勝った後、サポーターのとこまで一人でやってきたヒトシ選手は「今日は皆さんの応援のおかげで勝つことができ、本当にありがとうございました!」と言いながら、サポみんなと固い握手を交わしてくれたんです。これにはレノファサポもびっくり&感動。あるサポさんが「長年(某Jリーグクラブの)サポーターやってきたけどこんなの初めて」「選手との間にあった微妙な距離感がこれで一気に縮まったよね」と言われてたのを思い出します。

 2008年から2009年には、レノファ応援に選手チャント、横断幕(いわゆるダンマク)、ゲーフラ、大旗が初めて登場しました。レノファサポが手探りで少しずつ応援をグレードアップしていった時期ですね。応援の他にも「何かクラブの力になれないか」と試行錯誤してた時期でもあります。

 2008年シーズン前のこと、いろんな他クラブサポさんのブログなどを見ていると、サポ作成のMDP(マッチデイプログラム)を配ってるとこが結構あり、当時のレノファはまだMDPを発行してなかったこともあって「これだ!」と自作MDPを配ってみることにしました。今やなつかしい一太郎でA4両面1枚のMDPを作り、事前にクラブに確認していただいた上で、コンビニのコピー機で50~100部ほど印刷。それを試合会場でゲリラ的に配ってました。今思えば、もらう側からすると一般サポが自作MDPを配ってくるなんて怪しさ満点ですよね。仕事が忙しい時期などは印刷するヒマがなくて、試合当日の朝に会場近くのコンビニで両面カラー印刷してたらコピー機がつまってしまい、店員さんに怒られながらも何とか試合開始に間に合う、なんてこともありました。翌2009年からはクラブがMDPを発行し始めましたので、私の自作MDPもそこで終了。今となっては完全な黒歴史です。

  この当時は、社会人カテゴリでしたので3日連続の試合なんて当たり前。一番ひどい時は、真夏7月の昼間に3日で4試合とかやってましたね。4試合目なんて明らかに選手の脚が止まってましたけど、サポーターの応援もヘロヘロでとても選手へ偉そうに「走れ」とは言えない状態。何とかその試合に勝利した瞬間、元気印MFイシハラ選手(現クラブGM)が喜びのあまり猛ダッシュしたときは、さすがにサポも「走るなら試合で走れ!笑」と突っ込んでましたが。

  選手のご家族もよく観戦に来られてました。アウェイ戦にいつも来てた選手の彼女さん軍団、広島や岡山での試合にいつも来られてたMFカシハラ選手(福山出身)の親族ご一家、MF中村ユウタ選手(佐世保出身)の親御さん、DF吉田ケンジロウ選手のお父さん、高卒2年目ながらリーグ優勝に大きく貢献したGK松永ユウキ選手のお母さん、皆さん今もお元気でしょうか。サポ仲間の車にFW高杉ユウジ選手のお母さんが同乗され一緒に岡山遠征へ行ったこともありました。米子への応援バスツアーでMF福原コウタ選手の奥様が「選手の家族は皆さんの応援に本当に助けられています」と言ってくださったことも忘れられません。

  2010年から2011年は、現在のコルリさんが応援をしっかりとリードし始め、ゴール直後のチャント『俺達のレノファ』(さあ行ーけ!俺達のレノファー!)や勝利後のチャント『ヤマグチ一番』を歌い始めた時期。今につながるレノファ応援のスタイルはこの時期にほぼ確立したと言ってよいんじゃないでしょうか。

 そして、中国リーグにいたレノファがJFL→J3→J2と上がっていくにつれ、サポーターの数も飛躍的に増えました。少人数で応援してた頃は「もうちょっと人が増えるといろんな応援もできるようになるんだけどなー」とみんなで嘆いてましたが、今は本当に夢のような世界です。一昨年だったかな、湯田温泉の鶏まるさんで飲んでたら、あるレノファサポさん(アッキン氏)に「昔から応援してた人らからすると、最近応援し始めた僕らってぶっちゃけどうなん?」と絡まれた(?)んですが、「大勢で応援できる日を夢見よったけえ、みんなと会えてホンマうれしい!」「一緒にレノファ応援しよる時点で古参とか新参とか関係ないでしょ!」と答えました。これ心の底から本音です。

  レノファができて一番良かったことといえば、レノファがなければ知り合うハズもなかった人たちとレノファのおかげで知り合うことができ、楽しい時間を共有できてること、これに尽きます。

  先ほど名前が出た鶏まるさんは、レノファサポはもとより、スポンサーさん、クラブスタッフさん、レノファと対戦しにやってきた他サポさんなど、レノファにまつわる様々な人達が交錯するクロスロードのようなお店です。こんなお店が他にも湯田温泉や県内各地、はたまた東京(東京在住レノファサポさん御用達のお店など)にたくさんありますよね。

  これも一昨年だったか、鶏まるさんで飲んでると、かつてレノファで活躍したカシハラさんと中川シンペーさんがふらっと現れたではありませんか。先ほどのアッキンじゃないですけど、私もついついお二人に聞いてしまいました。「あの頃の僕らの応援って選手からしたらぶっちゃけどうやったん?」と。

  「本当に力になりましたよ」「当時あまり注目されてない中で、どんなとこにも応援に来てくれてたじゃないですか。あれは本当うれしかったですよ!」いやいや、そんなん聞いたらこっちの方がうれしいよ!決してお世辞を言えるタイプじゃないカシハラさんの言葉なので、きっと本音に違いないと信じ込んでおります。

  あと、レノファがきっかけで交際を始めたり結婚されたカップルもたくさんいらっしゃいますよね。そうそう、2013年にはスタジアムウェディングを挙げたご夫婦もおられました。あの後、何組もレノファ夫婦が誕生してますが、スタジアムウェディングをやってくれる次のご夫婦が早く現れないかなーと密かに楽しみにしております。

 今の私は、ホーム試合が来るたびにメインスタンドへ座り、ビールをおいしく飲みながら周りのサポ仲間たちと一緒にレノファを応援しています。レノファ発足当初と違い、今ではJ2のトップチームだけでなくレディースやU-18といったチームもできましたので、レノファをきっかけに始めた自転車(DAZNで放映してた自転車ロードレースにハマって始めました)に乗ってこれらのチームの応援に行ったりもしております。

  今年のレノファは渡邉新監督を迎え、これまでの土台の上に新しいサッカーを組み立ててるとこですが、サポの応援も1試合ごとにグレードアップしてるのを感じます。コロナで声を出せない中、昨シーズン途中で太鼓が解禁された直後はシンプルなリズムだけでしたが、試合を重ねるにつれ太鼓の音が重層化&複雑化していき、今シーズンはそれがさらに加速してますよね。現に敵地アウェイで試合するときは、相手サポさんの「山口サポの太鼓すげえ」ツイートが日に日に増えてってますしね。

  最後になりますが、レノファの選手(J2、レディース、U-18)には伸び伸びとプレーしてほしいなと思っています。選手の皆さんのプレーは、勝ち負けという結果だけでなく、ファン・サポーターに新しい人間関係を生み出してくれたり、ファン・サポーターの人生を彩り豊かにしてくれたり、ものすごい価値を生んでいるんです。だから結果を恐れることなく、思い切ってトライしながらプレーしてください!それが選手自身のためにもなるハズですし、ファン・サポーターの喜びにもつながるハズだと思いますので!


下川 直伯(レノファ山口FCサポーター)Naohiro Shimokawa

下川 直伯(レノファ山口FCサポーター) / Naohiro Shimokawa
1973年1月29日生、下関市出身、サラリーマン。
広島東洋カープファン(1979~現在)、セントルイスカージナルスファン(1989~現在)、横浜マリノスサポ(1993~1996)を経て、2007年からレノファ山口サポ。

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