レノファと共に戦った4年間
伊藤博幹さん(レノファ山口FC 4代目主将)Hirotada Ito私がレノファに入団したのは2009年です。
当時所属していたガンバ大阪、レンタル先の愛媛FCを契約満了となり、合同トライアウトで私のプレーを見てくださった佐竹さん、監督の宮成さんに声を掛けていただきました。「自分のサッカー人生もここまでか」と諦めかけていたところだったので、カテゴリーは違ってもサッカーを仕事として続けられることが嬉しかったです。
レノファに移籍するまで、私は山口県に一度も行ったことがありませんでした。失礼な話ですが、本州の端の方という程度の知識しかなく、サッカーをしていなければ行く機会は滅多になかったと思います。
初めての場所で不安もありましたが、「ここで再起し必ずJリーグの舞台に戻る」という決意でレノファに入団しました。当時の気持ちを正直に言うと、チームを昇格させたいという気持ちよりも「ここで活躍して、自分一人だけでも上に戻りたい」という気持ちが強かったです。良く言えば、誰よりもギラギラしていました。ただ、そんな自分勝手なことは口が裂けても言えないので、インタビュー等では「レノファをJFLに上げるために来ました」と答えていました。このようなハングリーな思いを抱えて移籍してきた選手は、きっと僕だけではないと思います。
ただ、山口県で過ごす期間が長くなり、レノファに関わる人の熱意に触れるにつれて「自分だけではなく、チームとして上のカテゴリーに行きたい」と強く思うようになりました。レノファで過ごした4年間で、自分自身も大人になれたと思います。
当初「自分一人でも上に行きたい」と目論んでいた私にとって、移籍直後は苦労の連続でした。
まず、練習環境の違いに苦労しました。当時使用していた練習場の1つに土のグラウンドがありました。土のグラウンドでプレーするのは小学生以来だったので、ぬかるんだピッチでよく捻挫をしました。着替える場所もなかったので、練習前後は車等の物陰に隠れて着替えをしました。ガンバは施設面でも恵まれていたので、このギャップには苦労しましたが「良い環境が当たり前ではない」ということを学びました。
その他に、町の雰囲気に慣れることにも苦労しました。チームメイト、サポーターの方々は親切で良い人ばかりでしたが、大阪で育った私にとっては、町の静けさ等にカルチャーショックを受ける場面が多かったです。虫が嫌いなので、たまに見かける蜘蛛や蛾等が大きいことも怖かったです。
ただ、何よりも一番苦労したのが、チームの空気感を変えていくことです。元教員チームというレノファ独特のルーツもあり、当時のチームは良い意味でも悪い意味でも結束が取れていました。チームワークは大切ですが、チーム内で意見をぶつけ合うような厳しさが足りないと私は感じました。強いチームにするために、私は言いたいことは何でも言いました。それでも上手くいかないときは、周りにイライラをぶつけてしまったと思います。
一番よく覚えているエピソードが、公式戦で当時の石原選手(現レノファGM)がPKを外した場面です。この試合は大量リードをしており、試合結果に直接影響を及ぼすことはありませんでしたが、PKを外した後の石原選手が笑っているように見えました。今考えると「申し訳ない」という気持ちを含んだ苦笑いだったと思います。ただ、これが1点を争うようなシビアな場面だったらと考えると、私は無性に腹が立ちました。石原選手は大先輩ですが、私は真っ直ぐに目を見て「おい、遊びちゃうからな」とタメ口で怒りをぶつけました。引退してから8年近く経ったので、これはもう時効だと思っています(笑)。
今考えると態度や言葉遣いは失礼極まりなかったのですが、何とかチームの緩い雰囲気を変えたい、ピリッとさせたいという一心でした。私が在籍した4年間で何かを変えられたかは分かりませんが、その後も経験ある選手が入ったことでチームは確実に成長したと思います。
引退後も、レノファの動向は逐一チェックしています。
昨年はアウェイのサンガスタジアム by KYOCERAで密かにレノファを応援しました。私が応援に行く試合はかなりの勝率ですので、今年もコロナ感染に配意しながら観戦に行こうと思います。
レノファで引退した私にとって、チームのJ昇格は心の底から嬉しかったです。それと同時に、在籍した4年間は昇格という目標が達成できずに申し訳なかったと思います。ただ、「もうこれ以上サッカーはしたくない」と思えるほどに全力で取り組んだ4年間だったので、個人的には後悔はありません。
最後に、私から選手の皆様に何かをお伝えできるとすれば「選手としてプレーできる時間を大切にしてほしい」ということです。大好きなサッカーで生計を立てられることは素晴らしいことです。現在、私は警察官として日々大阪の平和を守っていますが、サッカー選手としての生活を懐かしく感じることはたくさんあります。引退した選手なら誰もが感じているはずです。サッカー選手は、サポーターの方々に夢や希望を与えられる素晴らしい職業だということを忘れずに、これからもレノファのために一日でも長くプレーしてほしいです。
伊藤博幹さん(レノファ山口FC 4代目主将)Hirotada Ito
1987年12月5日生。大阪府出身。ガンバ大阪ユース-ガンバ大阪-愛媛FCを経て2009年にレノファ入団。守備の要として、在籍した4年間、不動のセンターバックとしてチームを支えた。2012シーズンは主将を務めたが、シーズン終了後に現役引退を発表。その後、故郷の大阪に戻って猛勉強に励み、警察官に合格。正義感あふれる警官として日々大阪の平和を守っている。