設立の目的
山口県民が、『夢・感動・元気』を共有できるチーム
山口県の選手を中心とするチーム
山口からプロチームの誕生・Jリーグ昇格を目指すチーム
「レノファ山口FC」の名称について
「renovation(維新)」の頭文字レノと「fight(戦う)」や「fine(元気)」のファを合わせて「RENOFA YAMAGUCHI FC(レノファ山口FC)」となりました。
歴史に名を残した山口県の先人たちのように、日本のサッカー界にもその名を刻んでほしいと願い命名されました。
エンブレムの由来
チームカラーであるオレンジ色をベースに、メインのモチーフとして山口県と山口市のランドマークといえる瑠璃光寺五重塔を用い、室町の昔から今に伝わる山口の伝統・文化と、未来へ向けて大空に立ち登っていくイメージを託しました。また、クラブ名の由来にもある「維新」の原動力となった長州藩の紋章をアレンジし、サッカーボールの模様にいたしました。
これらを、古来より戦闘で用いられる盾で囲むことにより、戦いに挑むレノファ山口FCに力を与えてくれる意味合いももたせました。
クラブスローガンに込めた想い
これまで様々な方に支えられ、レノファ山口FCはJリーグに昇格することができました。そして2015年、J3で戦うレノファ山口FCは、これまで築き上げてきたチームをベースに、Jリーグで戦える新たなチームを築く段階に入ります。ファン・サポーター、パートナー・法人サポーター、自治体、メディア、ボランティア、選手・チームスタッフ・フロントスタッフなど、レノファに携わる全ての方々と一丸とならなくては新たなチームを築くことはできません。
レノファに携わる全ての方々と一丸となってチームを築く、そのような想いを込め「ALL for TEAM」というスローガンといたしました。
- 1949
- 山口県教員団として発足
- 1976
- 天皇杯初出場(初戦敗退)
- 1980
- 中国リーグ昇格
- 1982
- 中国リーグ2位、地域決勝初出場(予選ラウンドで敗退)
- 天皇杯出場(初戦敗退)
- 1989
- 中国リーグ2位、地域決勝初出場(予選ラウンドで敗退)
- 1997
- 中国リーグ最下位(8位)、翌年から山口県リーグへ降格
- 1999
- 山口県リーグ優勝、翌年から中国リーグ昇格
- 天皇杯出場(初戦敗退)
- 2001
- 天皇杯出場(初戦敗退)
- 2003
- 中国リーグ最下位(8位)、翌年から山口県リーグへ降格
- 天皇杯出場(初戦敗退)
- 2004
- 山口県リーグ優勝、翌年から中国リーグ昇格
- 天皇杯出場(初戦敗退)
- 2006
- 2月、山口県サッカー協会の「Jを目指すチーム創り検討委員会」にて、同クラブを母体とするJリーグ参入を目指す新クラブの創設が発表される。
- 4月、新クラブ名「レノファ山口FC」が公募により決定
- 中国リーグ4位(8勝6敗)
- 2007
- 中国リーグ3位(7勝4分6敗)、天皇杯出場(初戦敗退)
- 2008
- 野上杯優勝
- 中国リーグ初優勝(11勝5分0敗)
- 地域決勝大会 1次ラウンド1位→決勝ラウンド4位
- 2009
- 中国リーグ2位(13勝1分4敗)
- 天皇杯出場(2回戦進出)
- 地域決勝大会 1次ラウンド2位(決勝ラウンド進出ならず)
- 2010
- 中国リーグ優勝(14勝1分3敗)
- 天皇杯出場(2回戦進出)
- 地域決勝大会 1次ラウンド4位(決勝ラウンド進出ならず)
- 2011
- 中国リーグ2位(13勝2分3敗)
- 天皇杯出場(2回戦進出)
- 2012
- 中国リーグ4位(9勝5分4敗)
- 全国社会人大会出場(2回戦敗退)
- 2013
- 中国リーグ3位(13勝3分2敗)
- 天皇杯出場(1回戦敗退)
- 全国社会人大会優勝
- Jリーグ準加盟承認
- 地域決勝大会 1次ラウンド3位(決勝ラウンド進出ならず)
- JFL入会決定
- 2014
- JFL4位(16勝3分7敗)(ファーストステージ6位、セカンドステージ2位)
- J3入会決定
運営会社 |
株式会社レノファ山口
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所在地 |
山口市矢原855-1
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TEL |
083-941-6792
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FAX |
083-941-6794
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メール |
info@renofa.com
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HPアドレス |
http://www.renofa.com
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活動拠点 |
山口市、下関市、山陽小野田市を中心とした山口県全域
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代表取締役社長 |
河村 孝
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GM |
石原 正康
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監督 |
上野 展裕
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