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山本アンバサダーコラム

レノファの母体となった県サッカー教員団でDFとして国体に3度出場。1990年から16年間は監督を努め、チームを天皇杯に4度導いた。2006年のレノファ山口設立のメンバーの一人で、現在もクラブの「アンバサダー」としてホームゲームの運営やPR活動に携わる。2021年4月、取締役に就任。教師としては萩商工高、下関商業高、西京高の校長などを歴任し、山口高時代はレノファの河村孝社長の担任を努めた。選手たちとも親交が深く、オフは一緒に出かけることも。

第2話 2007年

レノファ山口2年目の挑戦!

JFL・Jリーグ昇格、4年後の山口国体優勝に向けて飛躍の年にしていきたいということでキャッチフレーズは「粘る!」=気持ちは一つ=、そして「夢・感動・元気」を共有できるチームを目指し2年目のシーズンがスタートしました。

チームには新たに藤井仁詩選手(中京大学)や大野達也選手(徳山大学)たち即戦力が加わりました。
守護神であるGK澤野晃士選手そしてMF石上大輔・松原幸雄選手を攻守の要、高杉勇次・尾崎光選手が攻撃の核となるチーム作りは進みシーズンを戦うこととなります。

開幕戦はフジタに0-0で引き分け、2戦目はJFE西日本に1-4の負けと厳しいスタートとなり、山口ダービーとなる3戦目の日立笠戸戦で3-2と辛くも初勝利をつかみました。(山口教員団時代から日立笠戸とは県内のライバルチームとして互いに切磋琢磨してきています。県内に競い合うチームの存在があるということは県サッカーの強化・活性化において大きいことです。)
6月には渡邊雅人選手(徳山大学卒→ヴァンクール熊本)が加入しDFラインが安定してきて、リーグ優勝目指して戦い続けましたが最終成績は3位と悔しい結果となりました。
特に優勝したファジアーノ岡山には1-5、0-3、上位リーグ戦でも1-5と大敗し前年度から5連敗を喫するという厳しい現実を突きつけられました。(2007中国リーグは8チームによるリーグ戦14試合の結果により、試合数増や強化のため上位・下位4チームずつによるリーグ戦を実施)。

この年、ファジアーノ岡山は中国リーグを全勝優勝、全国地域リーグ決勝大会も優勝して2008年からのJFL昇格を決めました。これでレノファがファジアーノ岡山から勝利をつかみ取るためには昇格を果たし追いついていくしかないという事になりました。(今季3月21日に開催される15周年記念試合となるファジアーノ岡山戦、絶対に勝ちましょう!)

ホーム最終戦となった9月9日の佐川急便中国戦(会場:維新公園ラグビー・サッカー場)は7-5で勝利、両チームで12ゴールの乱れ打ちとなりサポーターの皆さんもびっくり。

山口県選手権大会では徳山大学に4-0で勝利しレノファ山口としては初優勝を果たし、9月16日に開催された天皇杯選手権1回戦ではJFL所属のソニー仙台FCに挑みました。

前半5分で先制されるも松原幸雄選手のゴールで同点、しかし終了間際に勝ち越しゴールを奪われ1-2で負け悔しい結果となりました。
チーム移動として仙台空港まで飛行機、そこから専用バスで宿舎や試合会場へ、ゲーム後はすぐに帰山というスケジュールを経験しました。
いつの日かJFL・Jリーグ参入となると毎週このような移動や週末が当たり前のような事になるのか、と交わされていた選手たちの会話を思い出します。

なお、この年からスポーツを通じた地域貢献、地域と密着したチームづくりを目指して小学生対象のレノファサッカー教室をスタートさせています。

中国リーグを制するためにはシーズン開幕と同時にスタートダッシュできるチームにならなければいけないということを痛感するシーズンとなりました。宮成隆監督のもと新戦力の獲得やトレーニング計画・内容の再考等チーム強化に取り組むとともに、この1年間で経験したことを糧にレノファ山口は怯むことなく3年目の勝負へ向かっていくこととなります。

 

 

 


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