
レノファ山口FCの初代エンブレムに描かれたキャラクターのモチーフを受け継ぎ、20周年記念エンブレムとしてデザインしました。
頂点を目指す想いを象徴する王冠をモチーフに、これまでの20年の歩みに対する感謝とクラブの「魂」を込め、新たな未来へ歩み出すクラブの姿勢を表現しています。
「レノファ山口FC」の誕生
Jリーグを目指す夢への第一歩
4月30日。
中国サッカーリーグは開幕節を迎え、レノファ山口FCは同年のリーグ優勝を果たすことになる強豪ファジアーノ岡山との一戦で今に続く一歩を踏み出します。
初陣は10番を付けた石上大輔初代キャプテンが初得点を挙げるも、1-5の完敗。1週間後に維新百年記念公園ラグビー・サッカー場で行われた同リーグの強豪佐川急便中国SCとの試合も黒星を喫しますが、レノファは多々良学園高校(現高川学園高校)グラウンドで開かれた5月14日の日立製作所笠戸戦を2-1で競り勝ち、初白星を掴みました。

この時、最前線で指揮を執っていたのが宮成隆監督でした。県サッカー協会技術委員長の要職にあった宮成監督は2005年10月、中国サッカーリーグを舞台としていた「山口県サッカー教員団」(山本貴司監督)を母体としてJリーグ入りを目指すチームを作る構想をチームに示し、県協会は「Jを目指すチーム創り検討委員会」を設立。
チーム名の公募、新たな選手の募集などを経て、「10年以内のJ1昇格」を掲げたチームを始動させました。

宮成監督はチームを指導するだけではなく、遠征ではマイクロバスのハンドルも握るなど、文字通り先頭に立ってチームを引っ張ります。
練習は夜間に集まって行うというチーム状況でしたが、シーズン後半には3連勝を挙げ、全14試合のリーグ戦は8勝6敗(PKでの勝敗を含む)で8チーム中の4位。前身の県教員団は2005年に中国リーグに復帰したばかりだったため、中位とはいえ未来へとつながる1年になりました。
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粘り強さを見せた2年目
上位カテゴリーのレベルも実感
レノファ山口FCはこの年、中盤の要となる石上大輔、守護神のGK澤野晃士など県教員団時代からの選手を核に、中京大学から藤井仁詩、徳山大学(現周南公立大学)から大野達也などの若手選手を迎え入れてチームの骨格作りを進めます。
ただ、勝ったり負けたりで成績は安定せず、2回戦総当たりのリーグ戦は6勝3分5敗。
その後の上位リーグ戦も全勝優勝することになるファジアーノ岡山に敗れるなど苦戦し、最終順位は昇格圏外の3位となりました。

それでも粘り強く戦う姿勢を貫き、シーソーゲームを制したり、勝点をしっかりと拾ったりする試合もありました
天皇杯では本戦に出場を果たし、宮城県利府町でJFLのソニー仙台FCと対戦。
早い時間にコーナーキックから失点したレノファでしたが、前半のうちに松原幸雄のヘディングシュートが決まって1点を返します。しかし終盤に再びセットプレーの流れからソニー仙台にゴールを許し、あと一歩で敗退。
上位カテゴリーの強さや長距離遠征の難しさを実感する一戦になりました。

また、レノファは2006年から山口県リーグにもチーム登録をしていましたが、2007年で活動を休止しました。
県登録チームの最終成績は県3部Aで2位でした。このほか、全国社会人サッカー選手権大会の出場権を得るための中国地区予選は2回戦敗退で本戦出場は逃しました。
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念願のリーグ初制覇!
JFLを懸けた石垣島決選は苦杯
Jリーグのアビスパ福岡に所属していた多久島顕悟と安田忠臣の若手同年代コンビを迎え入れ、さらに中国サッカーリーグのセントラル中国からチームの主軸となっていく福原康太と戸高研太が加入します。
この年も開幕戦は勝ちきれず、FC宇部ヤーマンに1-1で引き分けますが、レノファは福原、安田といった組み立てからフィニッシュまで関われる選手たちの活躍で攻撃力が開花し、第2節以降は3連勝。初夏には4連勝を挙げます。

中国サッカーリーグはチーム数が9チームに拡大していましたが、前年度でファジアーノ岡山がJFLに昇格しており、レノファは負けなしで上位を快走。
リーグ戦の最終戦では維新百年記念公園ラグビー・サッカー場に約800人が集まり、2-0の完封勝ちで無敗優勝を成し遂げました。

11月に開かれたのが各地域リーグの覇者たちが集まってJFL昇格を競う「全国地域サッカーリーグ決勝大会」(現全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)。
同大会初挑戦となったレノファはとりぎんバードスタジアムでの1次ラウンドを全勝して石垣島での決勝ラウンドに進みます。
しかし、FC町田ゼルビアやV・ファーレン長崎の壁に跳ね返され、3連戦はいずれも無得点。南国の地で涙をのんだ石垣島決戦となりました。

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再びの地域決勝は力負け
天皇杯では川崎Fと対戦!
JFLの三菱自動車水島FCから山口市出身の中川心平、Jリーグのガンバ大阪と愛媛FCに所属していたレフティーのセンターバック・伊藤博幹など上位カテゴリーを知る選手たちを獲得。戦力を高めて再びリーグの頂点を目指す戦いが始まりました。

戦力の厚みが結実してきたのはシーズン後半戦。
この年は5月までの8試合で3敗を喫するスロースタートとなりましたが、6月以降は連戦連勝の快進撃を続けます。
残念ながら無敗優勝の佐川急便中国SCには届かず2位に終わりましたが、参加枠の変更などで全国地域サッカーリーグ決勝大会に2年連続で出場を決めました。
ただ、JFL入りを目指した地域決勝は松本山雅FCに0-3で力負け。一次ラウンドでの敗退となり、この年も昇格は果たせませんでした。

大きな経験値を得る年にもなりました。
天皇杯本戦に出場したレノファは1回戦で三菱自動車水島FCに勝利し、2回戦では川崎市の等々力陸上競技場でJ1川崎フロンターレと対戦しました。
J1リーグ戦でも活躍している鄭大世、レナチーニョ、のちのレノファでもプレーする菊地光将などを並べた川崎Fに立ち向かうことになりましたが、レノファはスペースに飛び出した柏原渉の左足シュートで一時は同点とするなど善戦。
最終的には1-6で敗れますが、川崎Fサポーターから送られたレノファコールに勇気をもらったチームとサポーターは「いつかJの舞台へ」と決意を新たにする一戦となりました。
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月岡レノファで2年ぶりの優勝
立ちはだかった地域決勝の壁
前年まで最前線でチームを引っ張ってきた宮成隆監督がGM兼総監督に就き、チームは新たに月岡利明監督が指揮を執る組織改革を実施。
月岡監督は9番を付ける安田忠臣をセンターバックに起用するなど、選手のポジションを流動的に変え、守備に強く、攻撃でも強いチームを作っていきます。

中国サッカーリーグはファジアーノ岡山ネクスト、デッツォーラ島根E.C、ヴォラドール松江なども上位を競うようになり実力は伯仲していましたが、攻守に関わる碇野壱馬と田村隆生の戦力補強も奏功し、レノファは序盤から揺るぎない戦いを繰り広げます。
大きく崩れることはなく、集中開催で行われた最終戦にも勝利して2年ぶりのリーグ制覇。
宮成総監督の胴上げで優勝を祝いました。ただ、地域決勝は初戦のY.S.C.C.横浜戦、2戦目のHOYO Atletico ELAN(現ヴェルスパ大分)戦に敗れ、JFL入りは叶いませんでした。

天皇杯では2回戦でJ1リーグを戦っていた湘南ベルマーレと対戦。
前年の川崎F戦と同様に勝利をめざして戦ったレノファは前半をスコアレスでしのぎ、後半に勝負を懸けます。ただ湘南の三平和司にゴールを許すなど失点を重ね、0-4の大敗。
Jリーグチームからの勝利は掴めませんでした。この年は山口市立八坂中学校跡にやまぐちサッカー交流広場が完成するなど練習環境が整うようになり、近い将来の昇格や翌年の山口国体に向けてハードとソフトの両方が進化していく年にもなりました。
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大型補強断行も連覇ならず
失意のリーグ戦2位
この年の最大のライバルはデッツォーラ島根E.Cであり、レノファが越えなければならない壁でした。
しかし、得点力の高いサッカーを展開する島根に対してレノファはリーグ戦で2度とも敗れてしまいます。5月開催のやまぐちサッカー交流広場でのホーム戦は1-2の惜敗、9月の敵地での最終戦も2-3での黒星となり、リーグ戦最終成績は13勝2分3敗で島根に続く2位。
最終的には上位対決の差が響いて、地域決勝への進出を逃しました。

戦力面では湘南ベルマーレから地元出身の中山元気、大分トリニータやサガン鳥栖でプレーしてきた市原大嗣、ジェフリザーブに所属していた髙田健吾などを獲得する大型補強を行い、中山と市原を中心とする攻撃陣はゴールを量産、島根に匹敵する得点数を稼ぎ出します。
勝負の懸かった試合での取りこぼしは手痛かったものの、積極的にゴールを目指すスタイルは醸成されていきました。

2011年のもう一つの目標だったのが山口県で開催された「おいでませ!山口国体」サッカー競技での優勝でした。
国体にはレノファ所属選手を主体としてチームを組み、山口県選抜として出場。ところが、主力を並べながらも、1回戦で鹿屋体育大学主体の鹿児島県選抜に2-4で敗れ、初戦敗退の辛酸をなめる結果に。
天皇杯も1回戦を突破できず、サポーターが増えてくる中で、思うように結果を残せない失意のシーズンとなりました。
さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第6話2011年へ
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少人数での再出発
シーズン終盤の失速で4位後退
当座の目標としているJFLにはなかなか手が届かず、山口国体でも成績を残せなかったレノファ山口FCは厳しい現実に直面します。ダウンサイジングは避けられず、チームは前年よりも12人も少ない21人でスタートしました。
監督にはJSLのマツダSCなどでプレーしたのち地元の山口でサッカークラブのレオーネ山口(現在はレノファのアカデミー)を開設していた河村孝氏が就任。体制を刷新しての再出発を図りました。

背番号10を引き継いだ福原康太、新戦力のキム ドフン、現役最終年となった中山元気などが得点シーンに数多く絡み、少人数でもアグレッシブに戦っていきます。
好調をキープしていたチームでしたが、8月の中断期間を経た9月に息切れ。リーグ戦終盤の4試合は白星を一つも積み上げられず、リーグ戦は9勝5分3敗の4位に沈みました。
JFL昇格のもう一つのルートである全国社会人サッカー選手権大会も本戦2回戦で敗退となり、JFLへの切符は掴めませんでした。

成績での悔いが残るシーズンでしたが、リーグ戦第14節(三菱自動車水島FC戦)は維新百年記念公園陸上競技場(維新みらいふスタジアム)で行われ、クラブ史上最多の2335人が来場。
福原、キムなどのゴールでレノファが7-0で快勝し、サポーターの応援の力を再認識するものとなりました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第7話2012年へ
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一発勝負が続いた全国社会人で優勝!
「Jの付く舞台」へと飛躍
2年連続でリーグ戦を飾れなかったレノファ山口FCはチーム再建のために、昨季をコーチ兼任としてプレーしていた中山元気氏を監督に抜擢。
選手としては全国リーグのサッカーを知る平林輝良寛や飯塚亮を補強します。充実してきた戦力を生かして序盤戦から白星を並べていったレノファでしたが、この年も次第に成績が下降線をたどってしまいます。
6月には上位を競うデッツォーラ島根E.Cとファジアーノ岡山ネクストに相次いで敗れ、リーグ戦は13勝3分2敗ながらも3位となりました。

リーグ戦を制覇しての地域決勝進出はまたしても閉ざされますが、もう一つの昇格ルートでレノファは強さを発揮します。
10月に長崎県で行われた全国社会人サッカー選手権大会では休みなしの5連戦という激戦を勝ち上がり、決勝戦はグルージャ盛岡の攻撃にさらされる時間が長くなりますが、イーブンスコアで延長戦も耐えたレノファがPK戦の末に勝利。
キャプテンマークを巻いた平林が5人目のキッカーを務めて決めきり、全社枠で地域決勝進出を決めました。

レノファはこの年、Jリーグ準加盟を申請しました。
これはJ3新設にともなう門戸拡大があったためで、成績次第ではJFLを経ないJ3加入もできました。残念ながら地域決勝(同年のみJ3参入要件の一つとされた)で振るわずレノファの飛び級でのJ3入りは叶いませんでしたが、運営基盤の整備を進めた結果、JFLへの参入が認められ、ついに全国リーグに手を伸ばしました。
ただ、病床に伏していた宮成隆前GMはJFL入りの歓喜を見ることなく6月9日に逝去。クラブ創設に奔走し、ミヤさんと慕われた宮成前GMの思いを継いで、レノファは新たな舞台へと挑むことになりました。
さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第8話2013年へ
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上野体制でJFLを快走
岸田が得点王でJ3に導く
何度も全国リーグの壁に跳ね返された塗炭の苦しみが報われ、初めての全国リーグ・JFLの舞台に立ったレノファ山口FC。
しかし、レノファは歩みを止めるわけにはいきません。より高い場所を目指して、JFL時代のツエーゲン金沢を指揮した経験がある上野展裕氏を監督に招きます。
選手は大きく入れ替え、新たに岸田和人、島屋八徳、一森純、宮城雅史、鳥養祐矢、小池龍太などを補強。シーズン途中には小塚和季なども迎え入れました。

開幕戦はJリーグへの門番とされるHonda FCと対戦。岸田がPKを決めて一矢を報いるものの、1-3の完敗を喫します。それでもレノファは下を向かず、維新に栃木ウーヴァFC(現栃木シティFC)を迎えた2戦目で2-0の快勝を収めると、そのまま4連勝を成し遂げてJFLでも上位で戦い続けます。
前半戦(ファーストステージ)を6位で折り返したレノファは、シーズン後半戦(セカンドステージ)に入ると粘り強さを見せて1点差ゲームをものにしていきます。
後半戦のみでは2位、通年で4位に入り、当時のJ3参入要件である4位以内を充足しました。

初の全国リーグを戦い、計26試合で51得点をあげたレノファ。
そのうち岸田は17点を決めてリーグの得点王に輝きました。上野監督が根付かせたのは、全員守備全員攻撃のアグレッシブかつ組織的なサッカースタイル。
レノファのカラーとなっていくサッカーは、翌年のJ3でも花開くことになります。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第9話2014年へ
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J2昇格を掴んだ激闘
平林主将の魂のラストショット!
J3リーグに襷をあしらったユニフォームで降り立ったレノファ山口FCは、初戦のガイナーレ鳥取戦に2-1で勝利すると、Jリーグ・アンダー22選抜に8-0、藤枝MYFCに3-0で勝つなど開幕5連勝の好スタートを切ります。
上野展裕監督体制2年目はボランチに庄司悦大、前年のJFLで岸田に次ぐ得点を挙げていた福満隆貴などを補強して攻撃力を積み増し、早くも結果が表れていました。

レノファはまだ必ずしも全員がプロ契約ではなく、働きながら試合に臨む選手も多くいましたが、大半の試合で主導権を握り、圧倒的な攻撃力を見せつけていきます。
ただ、3回戦総当たりという特殊なリーグ戦はレノファに試練をもたらします。相手の研究が進んでいき、9月初戦のブラウブリッツ秋田戦、続くカターレ富山戦はいずれも後半に失点を許して2連敗。自動昇格圏の首位をひた走っていたレノファに暗雲が迫ってきていました。2位FC町田ゼルビアが猛追し、勝点で並ばれたのです。

そして迎えた鳥取での最終戦。
レノファは鳥取に先制を許すと、一時は岸田のゴールで同点とするも再び突き放されるという苦しい戦いとなります。同時刻開催の町田は試合終盤で1-1となっており、勝点1の積み上げが濃厚。逆に1-2となっていたレノファはいよいよ窮地に追い込まれます。

当時のレギュレーションでは自動昇格は1枠のみ。
あと1点を取れれば得失点差で町田の追撃をかわせましたが、時計はすでにアディショナルタイムに入っていました。このピンチを歓喜に変えたのが、途中投入のキャプテン、平林輝良寛でした。
右サイドで細かくつないだボールをペナルティーエリアで受けた平林は、ためらうことなく右足一閃──。J2への道を開くゴールネットが揺れ、直後にタイムアップの笛が響きました。
ついにレノファはJ2昇格を決めました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第10話2015年へ
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J2で輝きを放った攻撃サッカー
後半で失速も堂々の12位
レノファ山口FCは2月28日のファジアーノ岡山戦でJ2の初舞台を踏みました。
右袖にはJリーグのエンブレムが輝いています。当時、J3はロゴマークがJ1やJ2とは異なる白抜きのデザインを採用するなど、少し特殊なリーグであったのは否めません。しかし、J2は1999年に創設の歴史あるカテゴリーで強豪揃い。アウェイからも多くのサポーターが訪れるスタジアムに、誰もが夢見た「Jリーグの光景」が実感を持って胸に迫ってきました。

開幕戦は1-1のドローでしたが、岸田和人からのパスを受けた島屋八徳がレノファ史に刻まれるJ2初得点を奪取。2節目のギラヴァンツ北九州との関門海峡ダービーでは、望月嶺臣のアシストを受けた岸田が決勝点となるゴールを決め、1-0で初勝利を掴みました。
なおも洗練されたパスワークと攻撃力をストロングにレノファは次々と勝ち星を挙げ、維新旋風として多くのサッカーファンの注目を集めていきます。維新公園のスタジアムは1万人超を3試合で記録し、オレンジ色に染まる光景が何度も見られるようになります。

後半戦に入ると勝ちきれない試合が出てきて最終成績は14勝11分17敗の12位となりましたが、レノファの強さを全国に発信するシーズンになりました。

天皇杯ではJ1アビスパ福岡にPK戦で勝利する金星も挙げました。将来的なJ1昇格を見据えたハード整備が進み、関係機関の協力で山陽小野田市にレノファが優先使用できるクラブハウスが着工。
レノファはJ1クラブライセンスも初めて取得しました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第11話2016年へ
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低空飛行が続いたJ2の2年目
クラブ史上初の監督交代も
前年の活躍によってJ1チームに引き抜かれる選手が増えた2017年は、レノファにとって苦しい1年となりました。
序盤戦から攻撃の構築段階でつまずき、フィニッシュに迫れない試合が続きます。攻撃的なサッカーは見せられず、シーズン序盤で3連敗を喫するなど低空飛行。
クラブは初めての監督交代に踏み切り、上野展裕監督からアカデミーダイレクターの猿澤真治監督を経て、初の外国人指揮官となるカルロス アルベルト マジョール監督がチームを率いました。

マジョール監督は対人守備の改善や得点力のあるレオナルド ラモスの補強を通じて改善を図っていきます。
8月のザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)戦ではラモスが2得点を挙げる活躍で勝利を引き寄せるなど勝てる試合も出てきましたが、なかなか下位から這い上がることはできません。

終盤戦で連勝を飾ってJ3降格こそ免れましたが、22チーム中の20位に終わり、2年目の難しさを思い知るシーズンとなりました。
一方、練習環境ではハード面に加えて、ソフト面でも向上が進みます。
JFL時代までは監督に頼る部分が大きかったコーチングスタッフの体制を拡充し、2016年に山根巌コーチ、2017年に平井直人GKコーチと御簾納将アシスタントコーチなどが就任。
選手だけで取り組んでいたGK陣の練習メニューが改善し、村上昌謙、山田元気、吉満大介のGK陣の勝負強さが磨かれていきました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第12話2017年へ
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霜田レノファで攻撃力復活
首位に立つも夏に足踏み
レノファ山口FCはJFAで日本代表監督の招致に関わってきた霜田正浩監督を新指揮官に迎えて再出発を図ります。
ボールを保持して主導権を握るサッカーをベースとしつつ、選手の個性も重視して攻撃を形成。ボランチの三幸秀稔とサイドバックの前貴之がビルドアップを担い、前線ではオナイウ阿道、小野瀬康介、高木大輔などが得点を重ねていきます。

開幕からの3試合で10得点を挙げ、一時は首位にも立ちます。
オナイウと小野瀬はJ2リーグの月間MVPを受賞するなどリーグを席巻し、再びレノファの攻撃陣と攻撃采配が注目の的となりました。
ところが、7月に入ると勝ち星から見放され、全く勝てなくなります。小野瀬がガンバ大阪に引き抜かれるなど戦力流出もあり、9月途中までの3カ月間は無勝利。4得点4失点という大味な試合もあり、失点の多さは躍進の大きな妨げとなりました。

それでもオナイウは計22ゴールを奪取して得点王にあと一歩に迫り、ルーキーの山下敬大は尻上がりに調子を上げていきます。

得点シーンを彩る選手たちの活躍はレノファのサッカーをいっそう魅力的なものにしていきました。また、2017年加入の池上丈二が背番号15からシーズン途中で10番に変更。
1年半にわたって空白となっていた伝統の番号が、テクニックのある池上に引き継がれることになりました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第13話2018年へ
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つたない失点が響いて15位決着
若手選手の台頭という朗報も

元日本代表のFW工藤壮人、岩国市出身のサイドバック・川井歩、モビリティーのあるセンターバックの菊池流帆など獲得したレノファ山口FCでしたが、2019年は自滅的な失点が相次いで勝点を伸ばせませんでした。
ボールを持って主導権を握る試合はできていても、もったいない失点劇が頻発。早い段階で霜田正浩監督は4-3-3だったフォーメーションを3バックに変更し、守備の安定へとシフトします。

シーズン途中に高木大輔と瀬川和樹が移籍して戦力のさらなる縮小もありましたが、夏以降はサイドバックを主戦場とする頭脳派の前貴之をセンターバックに起用してリスク管理を任せ、ボランチには途中加入の高宇洋を充てるなど矢継ぎ早に手を打っていきます。
降格圏に足を突っ込むような状況にあったレノファでしたが、こうした策が奏功して終盤戦は改善。13勝8分21敗の15位でシーズンを戦い終えました。

2018年からレノファでプレーしていたベテランの坪井慶介が2019年限りで引退を表明する一方で、ユースチームに所属していた河野孝汰がJリーグ戦にデビューを果たしたり、プロ2年目の山下敬大が11ゴールをマークしたりと世代交代が進む1年でもありました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第14話2019年へ
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未曾有のコロナ禍
“降格なし”に救われた最下位閉幕

スタンドにマスク姿のサポーターを見かける中でシーズンが開幕しました。新型コロナウイルスのパンデミックが迫る中でのオープニングマッチ。レノファ山口FCは最終ラインにサンドロ、前線にイウリを配置しつつ、中盤では高宇洋や池上丈二がゲームを組み立てます。前半12分には池上のミドルシュートが決まり、レノファが京都サンガF.C.に1-0で勝利して好発進します。

ところが、新型コロナはついに猛威を振るいます。
Jリーグは開幕週ののちにリーグ戦の中断を決定。日程やレギュレーションの変更が行われ、シーズンは6月末の無観客試合で再開されました。J2は例年通り2回戦総当たりとしたものの、降格を行わない措置を採ったほか、交代枠の5枠への拡大、5連戦の連続で試合を消化していくという過密日程の採用などイレギュラーな対応となりました。

ただ、若手選手の出場機会が増加するなど、レギュレーション変更は大きな効果をもたらします。
特に河野孝汰は7月のV・ファーレン長崎戦でJ2最年少ゴール記録を塗り替える初得点を決め、サポーターの期待を集めます。もっともチーム成績は振るわず、11月以降は最下位に沈みました。

降格はありませんでしたが、リーグに旋風を巻き起こした前年の勢いは取り戻せずに閉幕。シーズン終了後に霜田監督は退任し、レノファは新たな指揮官を迎えて、次のシーズンに臨むことになりました。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第15話2020年へ
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新戦術が浸透できず低迷も
4枠降格のサバイバルを生き抜く

レノファ山口FCは渡邉晋監督を新しい指揮官として新シーズンをスタートしました。
渡邉監督は長くベガルタ仙台を率いてきた監督で、立ち位置を重要視するボールポゼッションスタイルをレノファでも志向します。この年は渡部博文や佐藤謙介、関憲太郎などのベテランも加入してチームを支え、前年度最下位だったチームが飛躍を狙いました。

しかし、主力選手にケガが続出したり、戦術浸透が進まなかったりして序盤戦から苦戦。
失点は大きく減っていきましたが、ゴール前で迫力を出せない試合が続きます。この年は前年に降格がなかった影響で、下位4チームが降格になるというサバイバルなシーズン。
残留争いに巻き込まれたチームはもがき苦しみ、渡邉監督は9月に退任を決断しました。残り11試合をコーチだった名塚善寛監督が引き継ぎ、2018年頃を彷彿させるハイライン、ハイプレスの積極戦術に転換します。

終盤には高井和馬の活躍などでFC琉球と大宮アルディージャ(現RB大宮アルディージャ)に連勝。
10勝13分19敗の15位でシーズンを終えました。この年もコロナ禍の影響が色濃く、声を使って声援を届けることはできませんでしたが、次第にスタジアムにサポーターが戻り始め、シーズン終盤のホーム戦では4500人前後の来場がありました。少しずつですが、にぎわいが戻ってきた1年でもありました。

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若手とベテランが融合した名塚体制2年目
声出し応援が段階的に再開
名塚善寛監督が引き続き監督としてチームを束ねた2022年は、特別指定選手を経てプロ入りした橋本健人やスピードのあるルーキーの沼田駿也がサイド攻撃で躍動します。
最終成績は13勝11分18敗の16位で前年を上回ることはできませんでしたが、キャプテンでセンターバックの渡部博文、2021年に加入して守護神としてゴールを守り続ける関憲太郎の安定した守備力のほか、選手から慕われる名塚監督のキャラクターも相まって、チームはポジティブな戦いを続けていきました。

ベテランとしては山瀬功治の加入も若手選手たちに大きな刺激を与えます。
加入時点で41歳だった山瀬はひたむきに練習と試合に向き合い、この年もリーグ戦34試合に出場して2ゴールを奪取。その姿勢はチームのお手本にもなりました。

また、Jリーグは7月以降の試合で声出し応援を段階的に再開するようになり、レノファでは8月6日のモンテディオ山形戦で「運営検証」という形ながらも2年半ぶりの声援が響きました。
このほか、2013年から株式会社レノファ山口の社長に就いていた河村孝氏が2月に退任し、新たに小山文彦氏が社長に就くなど、ピッチ内外で大きな動きがありました。

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攻守が噛み合わず再び監督交代
エスナイデル流堅守で辛くも残留

5月に新型コロナウイルスが5類感染症に移行し、Jリーグも対応ガイドラインを撤廃します。
スタジアムは旗が揺れ、声が響き、本当の意味で懐かしくも新しい日常が戻ってきました。しかし、チームは声援を結果で応えられない試合が続きます。
皆川佑介、小林成豪、矢島慎也など攻撃で頼りになる選手が加入しますが、前年限りで渡部博文や菊地光将などの守備の要が引退したこともあり守備が安定しなかったのです。

複数失点を喫する試合が続いた中で、クラブは監督を交代。
名塚善寛監督から中山元気監督を経て、守備戦術に定評があるフアン エスナイデル氏を指揮官としました。
エスナイデル氏は極端なハイラインを敷くことも戦術としては持っていましたが、レノファでは現実策を採って守備再建に着手し、実際に6試合連続無失点を見せるなど失点を減少させます。
ただ決定力の大幅な改善はできず、レノファは22チーム中20位。自動降格枠は2つのみだったため、辛くも降格を免れました。

また、3月19日のツエーゲン金沢戦では試合終盤、小林の縦パスをペナルティーエリアで引き出した前貴之が倒されてPKを獲得。
この好機ではボールが途中出場の山瀬功治に託され、左隅へと振り抜きました。山瀬は遠藤保仁の記録に並ぶ24年連続得点を達成。Jリーグ史に刻まれる偉業を成し遂げました。

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強度の高いサッカーで席巻
天皇杯は準々決勝に初進出

志垣良監督の新体制でスタートしたレノファ山口FCは、強度の高い守備で再び注目を集めます。
新戦力で志垣戦術を熟知した相田勇樹の対人プレス、左サイドバックから果敢に攻撃参加する新保海鈴のスピード、前線でターゲットにもなる梅木翼の機動力などが融合して他を圧倒。
取りこぼしはありながらも、5月15日のいわきFC戦に2-1で勝利して昇格プレーオフ圏内まで上り詰めます。

しかし8月末からは3連敗を喫して失速。最終順位は11位まで下がってしまいますが、残留争いに巻き込まれないシーズンは久しぶりで、チームにはJ1昇格に向けた期待も高まりました。

レノファが注目されたのはリーグ戦だけではありません。
天皇杯では初めて3回戦よりも先に進出。サガン鳥栖と対戦したラウンド16では若月大和と山本駿亮のゴールで序盤から主導権を握り、2-0で快勝。
9月25日の準々決勝はオリジナル10の強豪、横浜F・マリノスに挑みました。多くの報道陣も詰めかけたニッパツ三ツ沢球技場での試合は奥山洋平がスピードを駆って1点を挙げ、古巣戦となった山瀬功治も攻撃に絡んでいきますが、王者の反撃に遭って1-5の苦杯。それでも歴史の一ページを開く戦いを横浜で繰り広げました。

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春秋制の最終シーズンは19位
J2での戦いに一区切り

Jリーグはシーズン開催時期を移行するため、春秋制でシーズンを戦う最後の1年となりました。
また、ベンチ入り人数が7人から9人に拡大し、いろいろな選手にチャンスが与えられるようになりました。
この年のレノファは関憲太郎や佐藤謙介、山瀬功治が引退し、チームの中心だった前貴之、新保海鈴なども移籍します。その一方でセンターバックの喜岡佳太、サイドバックの亀川諒史、オランダ人ゴールキーパーのニック マルスマンなどが加入しました。

前年から変わらずに志垣良監督が指揮しましたが、戦力の大幅な入れ替えで戦術浸透に時間が掛かったほか、主力選手にケガが相次いでチームは上昇のきっかけをつかめません。
J2に参加枠が広がっていたJリーグYBCルヴァンカップでJ1鹿島アントラーズにPK勝ちする金星を挙げながらも、リーグ戦は苦戦続き。

6月21日には残留争いという点でのライバルだった愛媛FCに完敗し、クラブは指揮官交代を断行。レノファは中山元気監督にJ2残留を託します。

中山監督は当初はハイプレスを生かした戦術でアグレッシブに戦っていきますが、シーズン終盤はニック マルスマンのキック力、前線の有田稜の競り合いの強さを生かす現実策にシフトし、しぶとく勝点を拾っていきます。最後の5試合は3勝1分1敗という優勝争いに匹敵する好成績を挙げるものの、残留圏に勝点でわずか1ポイント及ばず、最終成績は降格圏の19位。10年間戦い続けたJ2にしばしの別れを告げることになりました。

また、この年のレノファはレディースチームがなでしこリーグ2部との入替戦を制し、初めて地域リーグから全国リーグへの昇格を決めました。一時は存続も危ぶまれたチームを支え続けた並木愛子や今季加入の田中陽子の奮闘が報われる昇格切符を手にしました。

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