PICK UP PLAYER 渡辺 雅人|RENOFA YAMAGUCHI FC

VOL.3「一瞬の判断と迷いが、勝負の明暗を分けた」

♯6 渡辺 雅人 MASATO WATANABE

2010年シーズンMDP(4/25号)に掲載された記事です。

IMG_3826.JPG 「ラインを上げるのか下げるのか意思統一が出来ていなかった。」
第2節の松江戦、#6渡辺雅人が悔やむのは2失点目のシーン。そして、自身を含めたチーム全体に無意識のうちに蔓延していた緩んだ空気、その存在を素直に認めた。
 「相手が退場して、うちが先制点を奪って、『今日は勝てるな』って正直思いました。僕らには間違いなく油断や心の隙があった。気を引き締めて1からやり直す意識が必要でした。」
あの試合は二度と戻らない。出来ることは残り全ての試合に全力で挑み、勝利を手にすること。同じ過ちは二度と繰り返さない覚悟だ。

 徳山大学時代は#4吉田や#14大野と共にプレー。「サッカーで飯を食うことを考えていた」という渡辺であるが、JFLチームのセレクションを受験した際、開始間もなく前十字靭帯を負傷。「目の前が真っ暗になりましたよ…。インカレも出れなかったしサッカー辞めるのかなって。」
 大学卒業後は治療も兼ねて地元熊本に帰郷し、サッカーへの思いを一度は封印することに。それでも「サッカーはやりたかったですね。そんな時、当時レノファにいた大学の同期のサトシ(宮崎智史・2008年退団)が熱心に誘ってくれて。また、頑張るかって感じで入団しました。」

 2007年の春、彼は再び山口の地に降り立った。入団後は主軸のセンターバックとして活躍。チームの成長に大きく貢献している。「特別に足が速いわけでも、強いわけでもない。相手との駆け引き、読みが僕の生命線」と自己を分析するようにクレバーなプレーが身上だ。相手やボールの位置から危険を予測し、的確なポジショニングでピンチを未然にカバー。決して目立つプレーではないが「常に考える」ことに関しては誰にも負けない。だからこそ、松江戦の失点を誰よりも悔やむ。「『誰かがやるだろう』『大丈夫だろう』っていう『だろう』の判断が本当に危険であることを改めて感じた。」


IMG_4114.JPG 悔やんでも悔やみきれないあの一瞬、そして敗戦。しかし、この敗戦はチームにとって大きなプラスの力になると信じている。
「大事な一戦を落としたのは確か。でも、チームの雰囲気はすごく良い。去年も負けた試合があったけどあの時と全然違う。すごく前向きだし、何よりみんながあの試合での自分達の気持ちの弱さに気付いている。だから次の試合からは相手がどこであろうと強い気持ちを持って戦うことができる、そう確信しています。」

 過去、度重なる怪我に何度も心が折れそうになった。今も体は満身創痍だ。「一年一年が勝負。来年のことは考えられない。でも、ひとつ分かっていることは今頑張らなきゃ悔いが残るということ。僕には勝利を届けたい人達がたくさんいる。」

 遠く熊本で渡邊のリハビリを支えてくれた両親や仲間、大学時代の友人達、そして山口で築いた家族…。
「嫁さんには本当に感謝しています。好きなサッカーを思い切りやらせてもらえて。9ヶ月になる娘がいるんですけど家族の存在って本当にモチベーションになりますね。やるしかない、勝つしかない。」

 開幕戦、#2伊藤の退場による突然の出場にも「準備は出来ていた」。後半は防戦一方となったが、勝利を手繰り寄せた渡辺の好プレーにサポーターからのコールが何度も会場に響き渡った。

 「僕が入団した時からずっと応援に来てくれる人が今もいてくれます。試合中のコールにはいつも勇気をもらっていますよ。サポーターがいるチームでサッカーをやれて僕は本当に幸せです。時に受ける厳しい言葉も全て有難く受け止めて、一緒に喜びを感じたいですね。あ、唯一お願いをするなら『渡辺雅人』っていう横断幕をリクエストしていいですか?(笑)」

苦しい時、悩んだ時、いつも支えてくれたたくさんの仲間達がいる。
仲間達が待つ勝利の報告。
感謝の気持ちを力に変えてそのリクエストに応える時が来た。

♯6 渡辺 雅人 (わたなべ・まさと)
1983年6月6日生。熊本県出身
177cm・70kg
DF
前所属:ヴァンクール熊本
冷静沈着で常に状況を把握する知的なプレーが持ち味。
内に秘めるサッカーへの情熱で勝利を掴みにいく。